HACHINOHE HISTORIA

文化財詳細

#考古資料 #指定・登録なし #平安時代 #是川縄文館
手鎌(熊野堂遺跡)
手鎌(熊野堂遺跡)
(指定・登録なし、是川縄文館、平安時代、9.8×1.7cm)
鎌(熊野堂遺跡)
鎌(熊野堂遺跡)
(指定・登録なし、是川縄文館、平安時代、14.6×2.8cm)
鋤鍬先(田面木遺跡)
鋤鍬先(田面木遺跡)
(指定・登録なし、是川縄文館、平安時代、14.8×18.3cm)
馬骨(熊野堂遺跡)
馬骨(熊野堂遺跡)
(指定・登録なし、是川縄文館、平安時代)

平安時代の食生活

八戸では、平安時代の遺跡からは水田・畑跡は検出されていないが、農耕を示す痕跡はみつかっている。

平安時代になると、出土する鉄製の道具は数・種類ともに多くなるが、その中には農耕に関わるとみられるものがいくつかある。まず、刃の両端に打たれた目釘に木製の柄が付けられた手鎌はイネなどの穂摘(ほつみ)に使用されたものとみられる。また、への字状の刃で折れ曲がる片方の端に木製の柄が巻き付けられたたとみられる鎌、袋状の空洞に柄を差し込んで使用したとみられる鋤(すき)鍬(くわ)先は、現在のものと構造に大きな違いはない。

これらの道具によりつくられた農作物は食され残らないのが普通だが、火災などで偶然炭化することにより、その形を残して出土したものがある。出土したのは現在の主食のイネはもちろん、オオムギ・コムギや、アワ・ヒエ・キビ、ダイズなど多岐に渡る。

また、遺跡からは農作物だけではなく、ウマやウシといった動物の骨が出土している。これらの動物は人びとの生活においては役立つことが多いため、食料用途だけを目的として飼育したとは考えづらい。しかし、出土した骨からは解体の切り傷などが残るものがあり、死亡した個体を解体し食用としていた場合もあったのかもしれない。

解説執筆者 : 苧坪 祐樹