HACHINOHE HISTORIA

文化財詳細

#絵画・書 #指定・登録なし #江戸時代 #八戸クリニック街かどミュージアム
自身除妙法
自身除妙法
(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、安政2(1855)年、作者不詳)
自身除妙法(部分)
自身除妙法(部分)
(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、安政2(1855)年、作者不詳)
自身除妙法(部分)
自身除妙法(部分)
(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、安政2(1855)年、作者不詳)

安政の大地震

安政2(1855)年、死者1万人に達するともいわれる「安政の江戸大地震」が発生した(翌年「安政の八戸沖大地震」発生)。地震は、大ナマズが地下で暴れて起きるもので、茨城県の鹿島神宮には、地中の大ナマズを抑える要石(かなめいし)があるという民間信仰から、当時要石でナマズを抑えつける様子などを描いた「鯰絵(なまずえ)」が大量に出版された。

「自身除妙法(じしんよけのみょうほう)」は、「安政の大地震」は鹿島明神が出雲大社へお参りに行っている間に起ったとし、留守中に暴れたナマズたちが、鹿島明神から大目玉を食らう様子。ナマズの頭は、「近年の異常気象に、わきまえのない者どものが暴れ回り地震を起こしてしまいました。許して頂けるのであれば、今後は日本の土地を守り、天下泰平、五穀豊年、君が代をお守り致します。」と訴えている。また、本作には、家の四方と天井に貼る地震除けの梵字(ぼんじ)も紹介されている。

一方、鯰絵の中には、地震を機会に「世直し」を訴えるような作品や、悪役鯰坊主が登場する歌舞伎の「暫」になぞらえた作品などもある。

解説執筆者 : 八戸クリニック街かどミュージアム 小倉 学

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