文化財詳細
西有穆山の墨跡
文化財区分:
絵画・書
時代区分:
明治時代、明治後期
指定区分:
指定・登録なし
収蔵場所:
八戸市美術館
作者:
西有穆山
西有穆山(にしありぼくざん)(1821〜1910)は、八戸出身の僧侶である。明治34年(1901)に公選で曹洞宗の大本山総持寺の貫首〔住職〕に選ばれ、翌明治35年(1902)には青森県出身者として初めて曹洞宗派の長である管長に就任した。
文政4年(1821)、現在の八戸市湊町に生まれ、幼い頃からその才覚を現したといわれる。穆山の一生は、弟子らが書き留めた言葉や逸話集からよくうかがい知ることができる。それらによれば、穆山は大変な努力家で勉強家であった。勉学のために仙台や江戸に遊学したといい、仙台藩領内の漢籍仏書を読み尽くしたとも伝わる。特に、日本で曹洞宗を開いた道元の著書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の究明、提唱に努めた。一方で、酒好きでよく気が回るという一面もあり、大勢から慕われたという。八戸市の西有公園には、穆山の功績を顕彰する銅像が建てられている。
また、穆山は多くの墨跡〔禅宗の高僧が残した直筆の書〕を残している。書画の腕前が達者であり、達磨図などの禅画も描いた。中でもよく描かれたのが「宝珠」である。複数の宝珠を墨の濃淡を操って描いたもので、宝珠の重なりが画面に有機的な動きを生み出している。
解説執筆者 : 八戸市美術館 篠原 英里
推薦文献 : 西有穆山禅師顕彰会編 2009『西有穆山禅師 没後百年記念誌』西有穆山禅師顕彰会