文化財詳細
日露戦争
文化財区分:
絵画・書
時代区分:
明治時代、明治後期
指定区分:
指定・登録なし
収蔵場所:
八戸クリニック街かどミュージアム
作者:
大倉耕濤、右田年英 、原田耕挙
朝鮮半島と満州の利権をめぐり明治36(1904)年から続く日露交渉は、翌年2月6日、日本が国交断絶を言い渡し決裂、日露戦争開戦となった。2月10日制作の「日露会見談判図」には、〈明治三十七年二月六日第拾四回目ニテ談判断絶シ自由行動ニ決ス〉と記されている。書面を前に向かい合う2人は外務大臣小村寿太郎とロシアのローゼン公使であろうか。
「日露両艦隊二月八日旅順口海戦に…(略)」と「我駆逐艦速鳥朝露…(略)」は、共に旅順口攻撃の様子が描かれ、前者は日本の魚雷艇がロシア鑑を攻撃する場面で、後者は風雪激しい中、日本の駆逐艦「速鳥(はやとり)」「朝霧」がロシア鑑と戦闘を繰り広げる場面である。
「日露交戦紀聞…(略)」は、3月27日に実施された2回目の旅順口閉塞作戦で、閉塞(へいそく)のため福井丸を自沈させるが、行方不明となった部下を捜索しボート上で被弾、戦死した広瀬武夫少佐の姿を英雄視し描いている。また、「日露戦争名誉軍人鑑」は、山県有朋・大山巌(いわお)・乃木希典(のぎまれすけ)・東郷平八郎などの群像画である。
この頃は、輪転機を使った大量印刷・雑誌メディアの拡大期で、また写真報道の時代でもあり、日露戦争錦絵は僅か50点程しか制作されなかったとされているものの精巧な作品が多い。
解説執筆者 : 八戸クリニック街かどミュージアム 小倉 学