八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
三陸復興国立公園指定記念論集 種差・・・じぇじぇじぇ
小倉秀彦
崩れ落ちた家屋が雑草に埋まっている。 ちょっと見では家屋とは分からない。
「えー!何これ?」 こんな物が天下の名勝種差にあっていいの? それも芝生地の真ん前に。 まさに「じぇじぇじぇ!」である。
いくらなんでもこれはまずい。 言うならば「最悪景観賞」物である。 とはいっても私の持ち物ではないしどうする事も・・・・・・。
それからしばらくたったある日。 「売地」の看板が・・・・・・。
「これは何とかしなくては!」 そして「何とかするなら今でしょ!」と決断。
それが2006年の事であった。
「更地にするだけでも」とまずは解体、整地。 「あー!すっきりした!」。
が、それだけではすまないことに。
ある日こんな情報が耳に入った。
テレビの取材班が種差に来て「何もない!何もない!」と言って通り過ぎてしまったと言うのである。
司馬遼太郎が、佐藤春夫が、東山魁夷が、吉田初三郎が・・・・・・。
その他沢山の人々が褒めそやした天下の名勝地。
それでは困るのである。
足を止めて、種差の自然と歴史に心行くまで浸ってもらわなくては困るのである。
「何とかしなくては!」
それからの紆余曲折は、「聞くも涙、語るも涙の物語」。
とまではいかないが、市が何とかしたい。地元の人たちもなんとかしたい。色々な大学関係の人達もなんとかしてあげたい。しかし金がない、リスクはとれない。あれもダメ!これもダメ!
結局は「もういい!自前でやる!」 という事に。正に「短気は損気」である。
まずは土台からと、基礎工事に着手。
ところがである。地震に津波!
じぇじぇじぇどころの騒ぎではなかったのだが。「まだ基礎の段階で助かった!」。
かくして2011年4月、無事「レストハウスたねさし」がオープンの運びとなった。
勿論、中の展示は種差の自然や草花、訪れた文人・墨客、種差を舞台にした映画、種差に居を移した吉田初三郎の鳥瞰図さらには義経伝説などなど。
窓を大きくとり、木の香りのする癒しの空間が展示と共に大好評でした。
「これで一安心」。 と思ったのですが、まだまだそうは問屋がおろさなかった。
なんと早々と種差が国立公園に。
それだけならまだしも、レストハウスは土地と建物を国が買い上げ、解体したうえで駐車場にとの事。
じぇじぇじぇ!またもや、じぇじぇじぇ!である。
なんとたった3年弱。早くも解体という羽目になろうとは!
しかし、物は考え様である。惜しまれるうちが華なのである。
種差のためになった。八戸のためになった。
沢山の人に愛された。後は国が引き継いでくれる。
役割は果たしたのだ。そう思うことにしよう。
国立公園となる種差。
「よかった!よかった!」思いは通じたのだ。
種差の前途を祝し、「レストハウスたねさし」に最後のお別れを!
「ありがとう!本当にありがとう!・・・・・・」。(解体は見に行かないよ・・・・・・)
それにしても、何故今まで何十年もの長い間、こういう施設が出来ていなかったのでしょうか?
一度も話題にさえ上らなかったのでしょうか?
今となってはただただ不思議に思うばかりです。
2013年9月吉日 (八戸クリニック・街かどミュージアム館長)