八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
伊能忠敬が鮫村で測量
堀徳郎
八戸の宝を発信しよう、とこの二年来小論を書いたり、展示会をしたりしてきました。この間、多くの方から貴重な資料をいただきましたが、 その中に、八戸高専所蔵の伊能忠敬の測量日記があったのです。
彼は高橋景保の命で、全国を測量し「全国沿海輿地全図」を完成しました。この地図は明治中期まで陸軍で使用したほどの正確なものでした。
日記では一八○一年一〇月一〇日 「種差村、深久保村、白浜村、鮫村九ッ後に着。止宿甚太郎、夜曇天、 夜深雲間に測量」とありました。
測量といえば昼間のものと思いましたが、彼の測量目的の一つに、子午線緯度一度の距離の確定があったのだそうです。それが確定すればあとは三六○倍すれば地球のサイズがきまりますね。彼の測定値は現在のものと殆ど差はないそうです。
丁度、同じ頃フランスの革命政府は、ダンケルクからバルセロナまでの子午線を実測し、メートル法を確定しています。そして地球一周を四万キロメートルと決めていますね。
さて、八戸自慢の一つに北緯四○ 度三〇分で獲れるサバの味がありますが、それはどの辺でしょうか。
電子国土ポータルというプログラムがあり、地図上の地点の緯度、経度が度、分、秒まで出てきます。それによると種差海岸の法師浜のあたりに高岩展望台がありますね。ちょうどそのあたりなのです。そこで、伊能が歩測した緯度一分(一八五二メートル)の遊歩道を種差海岸に造ってはどうでしょうか。四〇度三一分から三二分のあたりは、ほぼ大須賀海岸に相当します。江戸時代の伊能の歩く姿を思いながら、全国、 全世界に視野を広げられる素敵な遊歩道ができそうです。先ず、行ってみませんか。伊能の一歩は九一センチだそうですよ(八九センチとも)。
(八戸ペンクラブ会長)