八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員文芸・論壇「ナニャトヤラ考」―最古の言語かー
宮川誠市
南部領糠部に伝わるナニャトヤラ (盆踊り)は一種独特のもので、その言語的な謎はいまだに解明されていない。研究者らはただもっともらしい解説をしているにすぎないのだ。
すなわち「ナニャトヤラ ナニャトナサレテ ナニャトヤラ」だけが正詞であとはすべて替え歌であることをまず理解しなければならない。
岩手県九戸郡九戸村の細屋は昔から盆踊りが盛んで、普通はお盆の十四日から十六日にかけて行われるが、 細屋は七日盆から二十五日まで行われることで有名であった。
それは盆踊り、すなわち「ナニャトヤラ」を踊ることによって仏様を慰め供養することであるという考え方からきている。
柳田国男先生は「ヘブライ語」説から「なせばなる なさねばならぬ」 仏教説、あるいは「なんなり、ともせよ」説などから「男女のかけあい謡」とした。
しかしこれは替え歌から推し、解脱しているのであって正詞の意味ではない。
一番近いのは蓮台山長谷寺(三戸郡南部町) 関係の古文書にある 「南無汝阿徒野来」や「奈任耶阿培長嶺居野零叙」で、信徒達よ、御仏に帰依しなさいである。
二戸市福岡高校の照井荘助校長と奥昌一郎同窓会会長が昭和三十八年に山梨県南部町を訪問した際、地元の教育長・郷土史家の方々にその言葉に関連した言葉がないか訪ねたところ「福士のニャーニャー言葉」と答えたそうだ。
それは福士集落では「こうしてニャー」「それでニャー」と使い「何が何して何とやら」の起こりだと言っていたという。
最近とみに三戸郡新郷村のキリスト教説がはこびっているがこれは論外である。
柳田先生は付け唄や替え歌から総合して男女のラブを歌った唄と見ているが本詞である「ナニャトヤラ」 に迫る必要がある。
私は仏教が伝わる以前からの、私達北奥羽の先祖があがめた神「アラハバキ」信仰(石や木に神が宿る) の中から生まれたものと思う。
いわゆる文字がなかった時代、呪文的な盲詞(めくらことば=めくらうた)として、また謡として現代に引き継がれてきたのだろう。
ちょっとそれるが、古代の言葉として残っているものに家と家との結婚は「戸戸」と言った。それから転じて男女の交わりを「へっぺ」という。 これも糠部地方に永々として引き継がれてきたもの。
だからこそ民族の魂をゆさぶる何かを含んでいる。それが仏教の念仏と混交して、念仏踊りとなり、盆踊りとして脈々と伝わってきたものと思うのだ。
(九戸村文化財調査委員)