八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸・論壇 マイルポストのお相手発見

堀徳郎

 前号(30号)で「名無し半島」、「名無し崎」に市民の納得できる名前をつけようと提案した。またこの「名無し崎」に立つポールは何かと質問もした。

 一方、三月十六日の朝日新聞は「岬のポール正体は」と大きな写真入りで種差海岸の先端に立つポールを紹介し、軍のレーダーアンテナ説、船のコンパス修正説、霧笛説、マイルポストと言う船の速度試験用説など大いにロマンをかきたてていた。さらに水産高校で「航海」を教えた三浦信也さんからは「あれはマイルポストの名残です。海図で見た記億がある。」との有力証言も紹介されていた。

 マイルポスト説については、種差観光協会会長の仰沢卓美さんから、テッペンに白い三角かついていたが十数年前にポールの上半分が折れてぶら下がっていたとの話も伺った。

 そのころ、地元の青木昭雄さんから、もう一本ありますよと連れて行って頂き、鮫角燈台のすぐ足元のあたりの林の中に頑丈な土台とそこに立つこれまた頑丈なポール第二号に会わせて頂いた。

 マイルポストとは新造船の速度、回転性能などを測定するための標識で二本のセットが一海里離れて計二セット建てられているはずである。

 残りの二本目ついて鮫観光協会会長の岩見善四郎さんから情報をいただいた。鮫駅から岡の上の三角点の方向に向けて白いポールがあった。かつては見通しの良い斜面であったが住宅建設が進み今では跡形もないが、駅に近い小長根バス停のそばの家の角に確かに土台があり解体したのだとのこと。これを第三号とすれば、残りの四号であるが鮫配水池の近くにあと二本?あったが、ほぼこのあたりとまでは推定できたようである。三角点は配水池の敷地内にきれいに現存している。四号がなぜ二本なのかは不明である。

 幸いに明和三十一年の海図を見せていただけた。一、二号の間は二百三十メートル。三、四号の間は三百六十メートルであり、それぞれ北極から三十度西を指しているようである。

 一、二号と三、四号の間隔は一海里と思ったが、実測値は一九三八・六メートルとのこと、なぜかは不明である。

 これらの発見とともに「名無し崎」と鮫角燈台そばに並び立つ一号、二号のマイルポストは、リアス式三陸海岸の出発点、そして賢治のいうイーハトーブ北端の明確な標識として活用できるのではないだろうか。

 それにしても潮風と寒風に侵食された一号ポストの倒壊は時間の問題である。皆様の工夫と知恵を頂きたいと思っている。 (八戸ペンクラブ会長)