八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸欄 私の城下まち

三浦福壽

 さして興味もなかった城館や城閣に注意を払うようになった切っ掛けは、一冊の研究書との出会いからであった。

 沼館愛三著「南部諸城の研究(草稿)」(みちのく叢書第三十三集)がそれである。

 三十代半ば、私はC社発行のPR誌の編集業務に携わっていた。事務所は八戸市の上番町にあった。

 二年目あたりから他社のPR誌や会社案内の企画を手掛けるようになり、戦後急速に発展した城下地区に出来たA印刷所への往復が多くなっていった。

 復路で時間に少し余裕が出来たときは馬場町に当時あったS文庫で古書を物色しながら息を抜いた。

 古書買いは私の趣味の一偶にあった。その道のプロ名でいう背取りまでは到達できないまでも嗅覚だけは身に付けようと努めていた。

 自分流儀の掘り出し本探しに夢中になって社へ帰るのを忘れかけたこともあった。

 三日町の角に百貨店があり、この店舗が出来てから名称が四度変わった。往時は確か丸光だったろうその最上階の催事塲でM文庫が古書の掘り出し市を開いた。

 百貨店の屋上から吊り下げられた懸垂幕に古書の文字が踊っているのを見ると胸が騒ぐ。当時も今も同じである。

 勇躍して会場を目指し稀こう本のありそうな箇所を目敏く探す。特別に誂えた古書棚に表紙を客に向けた売場に視線を向けた。古書に見えながら外観は真新しい。どう贔屓目に見ても垢抜けしない装幀の本に手が伸びた。

 ペラペラめくりがたやすくこれを何度でもしそうな軽装本であった。めくるうちにその中身の濃密さに驚き一旦棚に戻した。再度手のひらに載せて奥付けを見てさらに驚かされた。昭和五十三(一九七八)年七月十日の発行とあった。ほんの二年前に出されたばかりの新本だったのである。

 古書然として光を放っていたこの研究書の奥付けに非売品とあった。売り手が付けた入り値は二千五百円。鉛筆書きでの提示価格がしてあった。

 高い安いもなかった。活用することに意義あることと判断し即座に手に入れた。

 仕事の量がさらに増えつづけ、A印刷所への往復が頻繁になった。往路は上番町の事務所から中番町を通り、元八戸警察署のあった堀端町の細めの路を通り、旧お屋敷の船越邸のある窪町を通り抜け、城下の印刷所へと足を運ぶのが常であった。

 そうした日課の中、沼館愛三氏の研究書がふいっと頭をよぎる日があった。活用を忘れかけていたことに気がついた。

 改めてその内容の特に八戸城について把握しなおすことにした。

 それにつれ私の印刷所への足の運びは別の角度に向かっていた。あるときは坂の高低を、あるときは堀端を探るといった足取りになり、そこから私の新たな散歩道が始まった。

 八戸城下の町並みを意識的に江戸時代に置き換えて歩く中心街は従前と様相がガラリと変わって見え出した。

 十年後の一九八二年。四十七歳になっていた。それまで歩いて探査した結果のメモを元に八戸城の内丸全体を鳥瞰図にして描き残すことにした。

 作品が出来て、市の美術展に出品して私の八戸城下散歩道は休みに入ってしまった。