八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員外寄稿 人材の宝庫・八戸〈下〉
村谷公基
八戸焼の窯元、渡辺昭山師に教わった焼物は、今も大切に使っている。受講生の作品を板に載せて車から教室に運び入れては手まわしのろくろで一人ひとり丁寧に教えていた教室風景は、静かながら緊張感に溢れていたことを想い出す。
水彩画とはがき絵を担当の船越康昌先生とは、よく飲んだ。酒は強くなかったが、シャンソンやクラシックを聴きながら盃を傾ける雰囲気が好きで、自宅で油絵を制作する時はオペラのアリアをBGMに。若い頃友人の三浦哲郎さんに作家へ進むよう進言した逸話は有名。先生に手ほどきを受けた油絵と水彩画は、一人暮らしの今の私にとって、かけがえのない趣味となっている。
子供から大人まで幅広く英会話を担当してくださったMr.ヴァスタスチェックさん、毎週三沢から軽ワゴン車を運転しての往復でしたが時間に正確で誠実な人柄と学ぶ人の理解力に合わせた指導は受講生の人気を集めていた。
着付の中野麗子、短歌の稲垣道、 俳句の藤木倶子、日舞・西川流の西川鯉一二、木目込み人形の吉田千嘉子、文章教室の小寺隆韶、フラメンコの津島美代子、歌曲の金子眞知子、 映画鑑賞の熊谷拓治ら各先生。それに野山を歩く、の荒井弘武さんと吉川保盛さん、登山教室の松田要悦さん等々、手元に当時の資料が全くなく想い出すまま列挙したが三百三十講座を担当した百人余の講師陣は実に多彩であった。八戸は実に人材の宝庫である。
旧冬、テレビでいずれも八戸出身の若手作家が芥川賞と直木賞の候補にのぼっているニュースを見て八戸のこれからにも期待がもてた。
平成十二年暮れ、九年勤めた文化センターを退職、盛岡へ帰郷してから二十年経った。三年前、長女の近くに引っ越し、病院通いの単調な暮らしのところへ吉田德壽会長からのお誘いがあり怪しい記憶だけを頼りに認(したため)てみたが拙文になったこと、お許し願いたい。
三十五年間の記者生活よりも充実感があった八戸文化センター、時の流れに抗しきれずに姿を消して間もなく二年になろうとしている。
(むらたに・こうき=NHK文化センター元八戸支社長=盛岡市在住)