八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸欄 文楽へようこそ

川守田礼子

 ここ数年、人形浄瑠璃文楽が人気である。週末の公演ともなればチケットは予約で完売、二週間の公演中には満員御礼の札がかかる。かくいう筆者も、チケットを何とか手に入れ、片道三時間の新幹線移動も厭わず、東京国立劇場に通い始めて三年目である。文楽ファンとしてまだまだヒヨッコだが、拙いながら文楽の魅力をお伝えしよう。

 そもそも文楽との出会いは数十年前、八戸公会堂での地方公演。人形の愛らしさが心に残ったが、その後本物の舞台を観る機会がなかなか得られなかった。平成十五年十月一日文楽は、日本の伝統芸能として能楽に次いで世界文化遺産に登録された。これを記念した通し狂言があると聞き、チャンスとばかりに国立劇場に馳せ参じた。演目は王朝物の大作『妹背山婦女庭訓』、めったにない全幕通し上演のため、一昼夜およそ十二時間の公演、観る側にも気合が入る。物語の舞台は奈良時代、曽我人鹿は魔力をもって朝廷転覆を企てる。その陰謀を阻止せんと入鹿に挑む勧善懲悪の物語と、政治的な流れに翻弄される三様の悲恋の物語が交錯する。お家のため、愛する人のために身を犠牲にする、いじらしい人形たちを観ているうちに、義太夫節の独特のリズムに身を委ねているうちに、文楽の世界にあっという間に引き込まれていった。そうその感覚は恋そのものであった。

 文楽には不思議な不自然がいくつか存在する。人形は正面の舞台に、義太夫と三味線は右手の床の上に、ビジュアルと音声が別々という不自然。そして、人間の喜怒哀楽を人形が表現しているという不自然。さらに、舞台の人形の後ろには人形遣いの三人が張り付いているという不自然(加えて主遣いは裃姿で堂々と目立っている!)。現代演劇や歌舞伎とは異なる設定に最初は戸惑ってしまう。が、物語が進むにつれて、背後にいるはずの人形遣いが視野から全く消え去ってしまい、物言わぬはずの人形が義太夫に合わせて語りはじめる。人形の息遣いが聞こえ、人形の涙が見える。舞台上に存在するのは純粋な人間そのものであった。

 文楽は「三位一体の芸術」といわれる。人形遣いが操る人形と、義太夫と三味線の語りが一体となり一つの芝居を創る。「浄瑠璃」とは、宝石の瑠璃でできた、静かで物音一つしない澄み切った透明な世界を意味する。文楽はまさに結晶化していく芸術といってよい。