八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

総員起し五分前

藤田要吉

 70年前の昭和18年3月、私は八戸尋常高等小学校卒業の二日後に、横須賀海軍工廠工員養成所に入所するべく八戸を立った。

 同工廠は日本海軍直轄の最大の軍需工場施設であって、海軍で使用する軍艦、兵器を造る所のひとつであった。

 昭和19年に就航した航空母艦「信濃」(7万トン)は「大和」、「武蔵」 の後継艦として、同工廠で建造されたものである。養成所は其処の技術者(軍属)を育成する機構であり、生徒は北海道から中部地方まで広く集まっていた。

 ことは、入所翌朝の起床時に起きた。 「総員起し五分前」なる号令が寄宿舎の寮のスピーカーから流れた。

 ところが、その号令で起きてはいけない。その時から五分後に出る総員起しの号令が出るために身構える瞬間である。

 つづく、スピーカーのラッパと号令によって跳び起きる。毛布をたたみ、着替えまでを二分三十秒以内にすませる。これに遅れると直ちに鉄拳が飛んでくるのだ。

 すなわち、五分前は所作の前の“心積り”をもって行動準備をする。と、 いう意味であった。

 以後、海軍生活においてはこの“五分前”なる号令が付いてまわるのである。

 総員起しの次は、「食堂集合五分前」があり「総員集合五分前」は養成所校舎の前庭広場(練兵場)に集まり、朝礼や訓示・指示が与えられる直前の所作となる。

 この五分前の心積り行動は大切なものであり、現在でも一般的に通用するものと思われる。

 「人と会う約束の時」、「会合に出席する時」など、“五分前”を常に心積りしていたら事前に準備ができて、 失敗は先ず起こらないと見て良い。

 そのほか海軍には合理化された簡素な行動様式があった。

 たとえば、別離の時は「帽振れの合図」、艦内が狭く雑音が激しく言葉が伝えにくい時の「手先信号」。

 水曜日、土曜日の午後は「半ドン」と称せられた。昭和18年初期まで沸軍では半日休暇であった。

 挨拶は上官であっても、朝一度挙手の礼をすれば当日は二度としなくてよい、等々である。

(クラブ参与)