八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員活動の取材報告 瀧尻先生、北村小松氏を説く

 「八戸が生んだモボ・北村小松〜工ピソードあれこれ」と題した講演会が11月23日、デーリー東北ホールで開かれた。講師は当クラブ、瀧尻善英会員が務め聴講者の共感を呼んだ。

 青森県近代文学館の「北村小松」 出張展は11月中ー下旬、同ホールで開催された。講演は最終日の23日、 80人を超す。“小松ファン”が会場を埋めた。高校教諭や県文化財保護協会の副会長でもある瀧尻会員は戯曲、 脚本、小説と幅広い分野で活躍した北村小松を語るにあたり「何故、私が北村を論じるのか。それは(教諭とし) 八戸高校勤務時代、学校に北村さんの資料が数多くあったことに気づいたから」と明かした。

 北村小松は明治34 (1901)年 1月、八戸生まれ。八戸中学(現八戸高校)から慶応大学予科で学んだ後、映画の世界を中心に活躍。父・ 北村益は旧八戸藩士出で八戸町長など歴任。

 瀧尻講師は小松の名を高めた日本初のトーキー映画『マダムと女房』 の原作・脚本を担ったこと、日本でもブームとなったUFOの研究家として知られ「空飛ぶ円盤」の命名者では?と説いた。この仲間には三島由紀夫さんがいたという。

 さらに『怪獣マリンコング』の脚本で怪獣映画の火付け役だったことなどを挙げロマンたっぷり。東京農大応援歌や八戸高校校歌など八戸市内の小、中、高校歌作詞も多いモダンボーイ(モボ)だった―と語った。