八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

十五年戦争の敗北・終戦から七十年

三上秀光

 満州事件・上海事変、それは戦争の始まり、それから日中戦争へと全面戦争の時は私は尋常小学生でした。 高等小学校卒で国鉄職員に、物資統制がはじまり食糧も配給制となり職場は軍事運輸第一で、休日は月一日でした。

 国鉄勤務三年目、太平洋戦争勃発で、毎日、北海道から京浜工業地帯への直運の石炭列車3本、SL・3 両重連蒸気機関車の運転をしておりました。

 昭和十八年、現役徵集兵役として北千島へ派兵され、毎日が地下壕堀りでした。

 終戦は知らされず、そのためソ連と無意味な戦闘をし、千名ほどの機牲者を出し、4年余りのシベリア抑留生活となった。

 日本に帰還したら、下山、三鷹、 松川事件が相次ぎ焦土となった国内の混乱は大変なものでした。十五年戦争では三百十万人の日本人が犠牲になり、アジア全体で二千万人が犠牲になりました。三十才までの人生の思い出は、楽しいことは無かったと言えます。

 戦争は絶対反対です。

 昨年、南信州の満蒙開拓平和記念館と島崎藤村記念館を見学。藤村が日本ペンクラブ初代会長の国際人で、 昭和十七年のアメリカとの開戦で、 日本は焼け野原になるだろうと予告していることを知りました。さすが国際人と思いました。

(会員)