八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

戦後70年特別企画 その〈1〉「学徒出陣」は暴挙でなかったか?

島守光雄

 昨年末、日本発の青色発光ダイオードの研究者3名にノーベル物理学賞が贈られ、日本のノーベル賞総受賞者は22名になった。しかし川端康成、大江健三郎の2名を除いてその大半は理系である。

 理系には強い日本人は文系ではどうであろうか。ノーベル賞の範疇に入らないが、戦後七十年経ても哲学の西田幾多郎や和辻哲郎のような世界的学者に匹敵する人物が日本に誕生しないのは何故だろうか。

 その大きな理由の一つには「学徒出陣」という暴挙があったからではなかろうか。

 文献によると、日清戦争の際、大学生の徴兵猶予の廃止を告げた陸軍の使者へ、浜尾新第三代東大総長が、「兄等、愚昧のヤカラ」と怒鳴ったと伝えられている。眼前の利害得失と国家百年の大計とどちらが大切か、というわけである。さすがの陸軍もその後は徴兵猶予廃止を口にすることはなかった。むしろ日露戦争の時、東京帝大卒業式に臨幸された明治天皇は次ぎの言葉を述べている。「軍国多事ノ際ト雖モ教育ノ事ハ忽ニスヘカラス其局二当ル者克ク励精セヨ」。

 ところが、昭和十八年、軍艦総長といわれた海軍造船中将平賀譲が東大第十三代総長に就任すると「学徒出陣」が敢行されたのである。

 東條政権下の昭和十八年九月、「現情勢下における国勢運営要綱」が閣議決定されて国民動員が徹底される。 陸軍省令で農学を除く理系の学徒のみに入営延期の恩恵を設け、文系学徒はすべて徴兵猶予が停止、根こそぎ戦線に送り込まれた。

 出陣した文系学徒の総数は、文部省(現文科省)の「学制百年史」にすら記載がないが、「学徒出陣」を著した安田武氏によると全国で十二〜三万人と推定できるという。ところがこの中でも戦没者数は判然としていない。

 ある評論家は、十八歳からの数年にどのくらい文献などを読んだかが、 研究者にとって決定的な意味を持つ断言している。

 われわれは「きけわだつみのこえ」 はじめ多くの戦没した文系学徒の遺稿などの行間からは、祖国や世界の未来を優える明晰なる知性や鋭敏なる魂などをうかがい知ることができよう。

 戦後七十年、文部科学省は、日本私立大学連盟などと連絡をとって、 その真相を明かすことこそ、戦没した学徒たちに対するせめてものはなむけになるのではなかろうか。

 なお、ノーベル経済学賞がスウェーデン国立銀行の記念事業として一九六九年から始められたが、日本人の受賞者は皆無である。

(ペンクラブ顧問)