八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員資料特集 八戸の情報誌百年(中)
三浦福壽
東京オリンピックが終わった翌年の昭和四十年(一九六五)に創刊された月刊「うみねこ」は、時代の潮流に乗ってその部数の伸びは速かった。
「昭和元禄」といわれた当時の日本。経済大国の道をまっすぐ突き進んでゆく中で日本中が大きな波のうねりをたくみに乗り越えてゆこうとしていた。出版界においても二大潮流があったと記憶している。
その一つは「デザインの力」であり、もう一つは「印刷の力」であった。
デザインの力は、広告獲得のために必要不可欠の時代に入っていった。 印刷の力は、文字組みのシステムが鉛の活字から写植(写真植字)へと切りかわっていく過程があった。
その二つのうねりは地方においても例外でなく、「うみねこ」にも及んだ。
当時「うみねこ」を印刷していた赤間印刷工業はベテランのグラフイックデザイナー宮坂喜一氏らを擁し、写植機は東京オリンピック以前に導入。その機動力は目を見張るものがあり「うみねこ」はそういう中での発行であった。(前号参照)
凡例 ①発行年②雑誌名③発行所 ④所在地⑤発行人⑥編集人⑦印刷所⑧判型⑨その他
①昭和四十一年(1966) ②ぷれいがいど・はちのへ(後に「月刊ぷれいがいど東北」へ誌名変更) ③北方春秋社(2号からアートプロ) ④八戸堤町(なぎさ書房) 2 号から八戸市糠塚析形(当時) ⑤中里進(2号から夏掘茂) ⑥創刊号の編集人は、るいけまさと 大久保景造 夏掘茂 岡山良一 中里進 ⑦八戸印刷荷札 (株) ⑧B5変形(創刊号はB6) ⑨創刊号の特集は「ネオン川」
①昭和四十六年(1971) ②週刊あみゅーず八戸(後に月刊アミューズに変更) ③北方春秋社(後に(有)アミューズ) ④八戸長横町(後に八戸市新井田西平) ⑤中里進(後に中尾安司) ⑥創刊時は大久保景造 石沢茂省ら ⑦ 八戸印刷荷札(株)(創刊時) ⑧B4→B5→A5→A4 ⑨B5判時代に石沢茂省 坂田伸一らが発行人となる
①昭和四十七年(1972) ②霧笛 ③G・P・M総合クラブ ④八戸市南糠塚五郎兵衛 ⑤太田秀穂 ⑥太田秀穂 ⑦(株)北斗印刷 ⑧A5(季刊誌) ⑨2号で終刊、うちのたくの評論「新安保考」など掲載
①昭和四十七年(1972) ②ニャンニャン ③うみねこ出版社 ④八戸市六日町岩徳ビル ⑤吉田勇作 ⑥ぐるうぷおらんど(三浦福寿・中村秀雄) ⑦(株)北斗印刷、特殊製本は中長製本、撮影はフォトセンター惣門 ⑧B 2変形(フランスパンと同じ長さのタウンマガジン) ⑨地域初のパロディマガジンとなる
①昭和四十七年(1972) ②月刊「街」 ③月刊「街」社 ④八戸市類家緑町 ⑤坂下登 ⑥坂下登 ⑧A4变形 ⑨特別参与伊藤栄 小野啓 青森支社中村甲正
①昭和四十九年(1974) ②月刊アニュータ ③風土社 ④八戸市内丸 ⑤長谷川直行 ⑥長谷川直行ら、当初小原啓子 関下まり子らも参加 ⑦八戸印刷荷札㈱ ⑧A5 ⑨地域初の女性月刊誌、スタイリス卜井村芳紀(鈴木芳雄)らが活躍
①昭和四十九年(1974) ②月刊きたおぅう ③デーリー東北新聞社 ④八戸市番町 ⑤中村克郎 ⑥工藤孝二 上村忠郎ら ⑦(株)杜陵印刷(創刊時) ⑧B5 ⑨第一次石油ショックの翌年に発行。紙不足から新聞ページ数を減らす中で創刊、 惜しまれて昭和五十三年通巻四十八号で終刊。
①昭和四十九年(1974) ②イフ(if) ③プランナー ④ 八戸市糠塚西道 ⑤笠木孝一 ⑥笠木孝一 ⑦啓文印刷 ⑧A4変形 ⑨若者の総合ミニコミ誌を謳う、全ページ手書き文字と線描で表現