八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員投稿 新春アンケート〈上〉
八戸ペンクラブでは今年も新春アンケートを会員の皆さまへお願いしました。設問は「八戸市政に思う」、「昨今の政治、世相に言いたい」、「ペンクラブへの提言」でした。ご協力に感謝し、設問以外の回答も併せ紙上で紹介いたします。(順不同)
昨今の政治(世相)に言いたい
嵯賀 昇
“吠えろ。叫べ。唸れ。憤れ”八戸の人は、政治に対して、口を開かなさ過ぎる。
二月八日、デーリー東北新聞の“こだま欄”で軽米町の小笠原栄吉氏が 「森・加計問題」に述べて居られる。 曰く《「丁寧な説明。確りと説明しなければ」は総理の決まり文句。だ が、野党の要求に対しては誠意ある対応をしていない。総理は、その上で「私も昭恵も全く関わってはいない」と、野党の要求を拒否。》と。
尤もな、小笠原氏の指摘である。 更に、茂木敏光経済担当相の『線香配付問題』が浮上。「何のための配付か」の問いに、「党勢拡張のため。 公選法には違反していない」と開き直り。もっと怒れ。それらの経費は国民の税金からである。
八戸ペンクラブの年間のテーマがあって欲しい
藤井 純子
私は千葉県在住のこともあって、 多彩な顔触れの八戸ペンクラブ会員の方々と直に話をする機会が少ない。 吉田会長が「新春にあたり」で退会者が増えていると述べておりますが、 誠に残念なことです。
私は全会員の日常の生活の様子をお聞きしたい。そこに八戸の今昔のことや政治、経済の様々なことが内包されていると思うからー。
また、ご自分の得意とする分野・ 音楽、絵画、旅、料理、介護のこと、 教育のことなどなど。そして、私の特に知りたいことですが、町や地域のこと、八戸中心市街地のことなどを会員の視点で発表する場を設けて頂きたい。
また中心街から書店が・・・
笹田 かなえ
三春屋5階のアシーネ書店が二月いっぱいで閉店すると言う。
中心街からまた本屋さんが消える。 ブックセンターもいいけれど娯楽としての本を選ぶ時は、やはり普通の本屋さんに行きたい。本屋さんが少ない町はどこか殺伐としているように思う。
「民俗芸能を引き継いで」
滝尻 善英
毎年二月初旬に八戸市教育委員会主催の「民俗芸能の夕べ」が八戸市公会堂文化ホールで開催されている。
人々の生活の中から生まれ、育まれた民俗芸能は、四季折々のうつろいを彩りながら、豊作を祈願して現代に伝えられてきた。
このように地域に根ざした民俗芸能の団体の技術向上や伝承活動の活性化を図り、市民に親しんでもらうために開催している。
今年度は第四〇回を記念し、特別出演として八戸藩ゆかりの古武道 「八戸藩伝神道無念流居合」も演武していただいた。ほかに東十日市朳組、高館駒踊保存会、長者山麓八戸虎舞保存会の芸能団体が出演。
私は毎年、司会進行、そして民俗芸能の解説をしているが、どの団体も自分たちの芸能に誇りと情熱を持って一生懸命、支えていることを感じた。民俗芸能を守り、引き継いでいる青少年には非行はないといっても過言ではない。民俗芸能は、それぞれの地域の宝である。少子化による後継者不足の中、今の代で終わらせることなく引き継いで貰いたいと痛切に感じている。
「里神楽 笑顔 子が継ぐ孫が継ぐ」善英
八戸市政に思う
菊地 敏男
八戸市は二十九年一月一日に中核市へ移行した。
そして、現在、八戸市では二十年後の二〇三八年を目標年次とした。 “まちづくり”に関する基本的な計画である「都市計画マスタープラン」 の見直しを進めている。
これは、少子高齢化の進展に対応して、高次都市機能が集積する拠点の形成や適切な人口密度を持った市街地の維持と利便性・持続性の高い公共交通ネットワークの構築を一体的に進めていくことで、「コンパクト&ネットワークの都市構造」の形成を図ろうとするものである。
わが国では、コンパクトシティという考え方を青森市や富山市などの地方都市が都市政策に取り入れるなど、コンパクトシティをめぐる議論が深まりつつある。八戸市では画一的なコンパクトシティではなく、八戸の地域的特性(地域性)を踏まえた、より周到な研究を進めつつ、八戸市民の叡智を結集した“まちづくり”を行う必要がある。
小惑星命名と舞台
柾谷 伸夫
晴天の霹靂だった。まさに慶賀の出来事。国際天文学連合が日本人の発見した小惑星をMaeharatorakichiと命名したという。 アマチュア天文学たちが大先輩である前原寅吉をたたえようと申請したのが認められたのだ。
僕たちは昨年末、今年の5月25日 (金)26日(土)に予定している第5回八戸市公民館特別企画に、拙作『我が内なるラピュータ〜前原寅吉の夢』上演を計画していた。
3月から始まる稽古に弾みがついた。“前原寅吉・小惑星命名記念”のキャッチコピーが頭にうかんだ。 寅吉の生き様が21世紀の我々に充分すぎるほどのインパクトを与えるに違いない。2時間半の長丁場。果たして体力が待つかどうか不安なところがあるが、頑張るしかない心境だ。
「八戸の松陰」の写真
木村 久夫
明治十四年、九州柳川出身で二十五歳の渡辺村男は『八戸聞見録』を著した。
この渡辺に対して、執筆にあたっての助言や資料の手配をしたのが、 「八戸の吉田松陰」と言われる五十六歳の栃内吉忠である。
私は、栃内がどんな容貌の人であったのか関心があり、目下、写真を探している。明治二十六年まで存命した方なので、どこか写真が残っていると思うのだがー。
『北奥春秋』の復刊を
道合 政邦
八戸人の特性を一言でいうと、「事なかれ主義」だと、昔、О氏が私に言ったことがある。その後、今は亡き中居幸介氏が『北奥春秋』なる、 世に本音でもの申すオピニオン誌を立ち上げ八戸人に勇気ある良識を示してくれた。
私にも声掛けがあり『毘沙門の大銀杏写真展』を終えての一文を載せていただき、自分の思いの丈を果たせてくれた。
「光陰矢の如し」残念ながら、中居氏も『北奥春秋』も、今はこの世に存在しない。願わくは中居氏・『北奥春秋』の共に復活することを心から願うのみである。
三沢ペンクラブのことなど
伊野 忠昭
雑誌「世界」(岩波書店刊行)は、 今年一月号から俳句投稿欄をもうけた。戦後の創刊以来はじめてのことである。
思い出すのは在職中、三沢市立中央公民館長の故・水戸秀郎先生から、 三沢ペンクラブ加入の勧誘を受けたことである。その際「世界」には、 俳句、短歌の寄稿欄はないとのことであった。当時、桑原武夫氏の「第二芸術論」全盛期で短時型文学の軽視があったかと思われる。
三沢市は先の大戦の傷を深く負っていて、青年たちは確かな目標を求めていたときでもあった。参加者は日本ペンクラブの名は知っていたので躊躇していた人もあった。水戸先生の意図は青年への奮起の呼びかけでもあった。岩波俳句の投稿欄を始めたのはどんな呼びかけなのかと考えている。
戦後が戦前でないよう・・・
上條 勝芳
今年の元旦は穏やかな日和でしたが、大須賀海岸は荒い波でした。時代を象徴しているようです。
戦後が戦前でなければいいなと思っています。
一人ひとりのグローバルな思考と自身の位置での実践が求められているのではないでしょうか。鳥のような虫のような視点です。意思表示しないということは現状を容認していることになります。
世界の人々が花のように咲って暮らしていけますように。平和を祈らずにはいられません。