八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

蕪島の景観と海水浴場の再生 埋立地を切離し自然の島に戻そう

藤田要吉

(一) 景観

 「抱卵期に入りたる海猫の騷ぐ声 夜更けて聞こゆ向かひの島より」 昭和四十一年宮中歌会始めに入選詠じられた山根勢五さんの詠進歌である。そして同年八月、蕪島を訪れられた美智子皇太子妃(現皇后陛下)は、「あなたが詠まれた向かいの島と言うのはどの辺りですか」とお訊ねになられた。その時、蕪島は確かに島ではなかったのである。

 私自身も何度か在京の友人達を八戸の観光に招いた事がある。どの人も蕪島と言うけれど島ではないではないかと言われる。その度に戦前からの話を持ち出して説明を繰り返して来た。

 戦時中に、旧海軍が特攻艇「震洋」という爆薬を舳先に装着した一人乗りの小型艇の基地を作る為に埋め立てて陸地続きにした事を、である。戦後も、艇の格納庫と爆薬庫のトンネルが数本口を開けていた。これらを記憶する人も多いであろう。

 大正時代は背の低い木橋が、昭和の初期には吊橋が、架設されていた。そして、その橋の下には磯浜があって、鮑やウニを漁師の人に採ってもらって、海の水で洗って食べた。程好い景観と磯遊びが楽しめたのである。

 三万羽と言われるうみねこと市民の親しい交流のある蕪島は、現在でも間違いなく日本随一の景観であり、さらにうみねこの棲息地としては世界一と評価されている。

(二) 海水浴場

 埋め立てられた後も暫くの間は、波穏やかで遠浅の海水浴場として、子供や婦女子にとって水遊びの出来る格好なレクリエーションの場であった。

 ところが、埋め立てによって海流の循環が失われ、滞ったためと思われる海水の汚染が起こり始めた。そして現在は遊泳禁止となっているのである。

(三) 対策

 景観の再生とうみねこ棲息地の護持、そして海水浄化による海水浴場復活の方法は唯一つ。元の自然の姿に戻すこと。即ち埋め立て地を開削し、島として切り離すことである。

 再び海流を循環させ、BODを3PPM(生物化学的酵素要求量)以下に下げ、更に橋を架けて景観を再生するのである。あわせて地域の下水道の整備、排水の処理は当然の課題である。

 隣接する小型漁船の舟溜まりは、西側の元運輸省第二港湾工事事務所跡に拡大移動できよう。または海洋学園跡地(元漁民練成道場施設)の、かなり大きい船溜りを活用することも考えられる。

 費用は五億円前後であろうか。何れにしても市民と市当局は元より、青森県の理解を頂くことが急務であると訴えたい。その際人工のポートアイランドに橋が架けられていることは大きな参考となるのではなかろうか。

 私の所属する八戸ペンクラブは、蕪島、鮫角灯台の地、種差海岸などについて多様な視点で調査、研究を開始しています。志を同じくし、鮫、蕪島、種差などを愛し想い行動されている市民のみなさんとの連携を切にお願いします。  (建築環境コンサルタント)