八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸・論壇 名無し半島? 名無し崎?

堀徳郎

 1の図を見てください。「この岬はなんという岬ですか」と聞かれたら市民の皆さんは、はてと考えこんでしまうのではないでしょうか。この図は、五月十一日全国から四千七百三十一人がエントリーしたうみねこマラソン全国大会のコースマップです。地形的には小さいながら半島といえると思いますが、今のところ名前がみあたりません。ところが、偶然それらしいものに出会ったのです。それは今から三百六十年ほど前に抽かれた南部藩作成正保の国絵図でした。八戸藩成立の少し前です。原図は盛岡市中央公民館にありましたので、許可を得て走って行き写させてもらいました。

 それが2の絵図です。そこには「鮫ヶ崎」と筆文字で書かれていました。この名は江戸時代を通じて使われていたようで、一八六五年頃の道中案内絵図にも「サメガサキ」の仮名文字が見えます。現在「鮫の岬は潮けむり」の岬の具体的なイメージは霞んでいるような気がします。この岬に歴史的な「鮫ヶ崎」の名をつけ、三陸海岸の頂点の岬として地歴科の地図に掲載してもらえば、八戸のイメージは急上昇するのではないでしょうか。

 かつて、奥人瀬川が相坂川であったころ、なんとかならないですかと建設省の方に開きましたら、なんと「みんながいいと言えばいいんです」と教えられ、あちこちでしゃべっているうちに、意外と簡単に奥入瀬川が出現したという楽しい経験もあります。

 この絵図から沢山のことが見えてきました。まず蕪島ですが、「胃(胃はりっしんべんに胃)子嶋」と書かれています。りっしんべんですので誤字かな思いましたが、これは帽の草書体と分かりました。読み方は「もうす」だそうです。広辞苑によると「僧侶のかぶる一種の頭巾」とあります。形が似ていたのでしょうか。

 新井田川は九戸川とあり、「この川は歩行渡り、広さ九間、深さ二尺」、馬淵川は「舟渡り、広さ三十五間、深さ五尺」。また両川とも、「この川荒磯にて舟入らず」と書かれています。

 「帽子嶋」は八戸市立図書館所蔵の江戸時代末期の絵図3になると、「神女嶼」(みこじま)、「歌舞嶋」、「蕪嶌」と云われ弁才天を祀つていたとその由来と信仰の篤さを伝えて います。また別に「弁天島」といったとの記述も見えます。しかし、この弁才天は、明治政府の廃仏毀釈に逢い海中に投棄されたが、密かに救われて、現在は鮫町の浮木寺に秘蔵安されていると開き、大変な信仰の歴史を持っていると感動しました。

 八戸PEN28号で提案した「名無し崎」の名ですが、「鮫角」、「鮫角岬」、「小舟渡岬」(こふなとみさき)などが有力です。「名無し畸」も結構人気があります。この岬は北緯40度32分26秒ほどです。三陸海岸の北端の「鮫ヶ崎」のそのまた先端という象徴的な位置を思えば、陸奥みちのくの「小舟渡岬」から、陸前「大船渡市」に至る「三陸海岸国立公園」の象徴的な地名になるかなという気もしているところです。絵図4は市観光課等作成の種差海岸散策ハンドブックです。

 次回はこの岬に立つマイルポストについて報告する予定です。  (八戸ペンクラブ会長)