八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員資料特集 八戸の情報誌百年(上)

三浦福壽

 八戸にはいろいろなタイプのタウン誌や総合雑誌が数多い。

 その始まりは明治十九(一八八六) 年に発刊された「奥南雑誌」であった。

 「ノア」が昭和後期に発刊され、後に「風の街」に誌名を変更し運営された時点の昭和六十(一九八五)年 ~昭和六十二(一九八七)年までで約百年。

 その百年間を改めて眺めてみると実に多彩な貌(かお)に出会う。

 「タウン誌」という呼称がなかった時代にも日本各地に情報誌は多くあった。

 それは地域の情報や広告を掲載した「総合雑誌」的な認識であり「情報誌」とも言わず、昭和二十年代はまだ総合雑誌が主流である。

 昭和三十九(一九六四)年の東京オリンピックが近づくにつれ、広告・宣伝・デザイン化の時代に入って企業PR誌とハッキリ目的をうたった雑誌が増えつづけた。

 雑誌は広告で賄っての誌代無料。 その代表格が寿屋(現サントリー)発行の「洋酒天国」のPR誌であった。

 かたわら、そのPR力の特長と情報力の特長を組み合わせた街中PR 誌があらわれ、それが「タウン誌」 となって成長していく。

 その先陣が「銀座百撰」である。特異な内容の編集方針はたちまち全国の都市部にひろがっていった。

 ひろがりは早かった。八戸に及んだのが昭和四十(一九六五)年でありこの年に創刊された「月刊うみねこ」が最初であった。

 そこで「八戸の情報誌百年」とし各誌の概要を紹介してみたい。

凡例 ①発行年②雑誌名③発行所 ④所在地⑤発行人⑥編集人⑦印刷所 ⑧判型⑨その他

①明治十九年(1886) ②奥南雑誌 ③奥南会雑誌局 ④京日本橋区北新堀町 ⑤平田泰光 ⑥前田安政 ⑧菊判 ⑨野田正太郎ら執筆、出資者は浦山太吉

①大正十年(1921年) ②大南部 ③大南部社 ④八戸十三日町  ⑤武藤勝美  ⑥武藤勝美 ⑦八戸印刷所(雑誌創刊時)  ⑧菊判 ⑨雑誌は三号で終刊、のちに「八戸毎日新聞」を創刊、その時点で地域初の輪転機を導入し初カラー印刷も

①昭和十二年(1937) ②月刊評論 ③月刊評論社 ④八戸市番町 ⑤成田武夫 ⑥成田昌彦 ⑦八毎印刷所 ⑧B4→B5 ⑨昭和十八年出版統制令で「河北新報」に統合される。本格的な総合情報誌の先駆けとなる

①昭和二十三年(1948)  ②世代 ③平凡会 ④八戸市小中野左比代 ⑤阿部弘(小中野中道)  ⑥古川大  ⑦精工印刷株 ⑧A5 ⑨八中最終生と新生八高一回生による同窓会誌的きずなで運営

①昭和三十一年(1956) ②北方春秋  ③北方春秋社  ④八戸市柏崎堀下(神山方) ⑤堀川善雄 ⑥堀川善雄 中里進 神山恵介 ⑦杜陵印刷(株) ⑧ A5 →B5→A5 ⑨各ジャンルとも多士多彩な執筆陣容、 創刊号題字は佐々木泰南(2号からレタリング)表紙絵は岡山良一、写真特集は和井田登、定価八十円、昭和三十六年に通刊十八号で終刊

①昭和四十年(1965) ②月刊うみねこ  ③うみねこ出版社 ④八戸市鳥屋部町(当時) ⑤景山義夫 ⑥景山義夫 吉田勇作、山根昭六 ⑦赤間印刷㈱ ⑧B6→A5