八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員特別リポート この秋の安藤昌益
吉田徳寿
秋、十月十四日は八戸ゆかりの思想家で町医者・安藤昌益の命日。例年、このころになると研究家らは昌益の精霊に取り憑かれたように落ち着かない。ことしも八戸市では「昌益 天聖寺二百五十年フォーラム」が開かれた。一方、盛岡市では錦城こと「川村寿庵」展が開かれ心酔者らが昌益・寿庵の情報交換を行った。
岩手県立博物館では「『日本名山図会』と川村寿庵」展が十一月二十四日まで二ヶ月余、開かれている。
寿庵は別名が錦城。奥南部の出身とされていたが最近、三戸町と出自が特定。盛岡藩医に入門、江戸で開業し昌益医学を高く評価。谷丈晁らと交わり名山図会出版や音楽に親しむなど文化人でもあったという。
今回の企画展は日本名山図会にスポットを当てながら昌益とのつながりも考察しようと試みる意欲的なもの。館内には昌益の「自然真営道」東大本も展示されファン必見企画。
去る十月十八日には「川村寿庵の再発見」と題し同博物館の齊藤里香学芸員が寿庵の新発掘と素養ぶりを開陳した。さらに同二十五日は「昌益と千住宿の関係を調べる会」の矢内信悟事務局長、「昌益の会]の石渡博明事務局長、八戸「昌益基金の会」の三浦忠司会長らがマリオスに集い昌益研究の情報交換を行った。
八戸に「昌益資料館」
相前後して開かれたのが八戸市での「天聖寺フォーラム」。開催の十月五日はまず、発起人代表が八戸に「安藤昌益の資料館を設立しよう」と呼びかけ。集まった市井の昌益ファンらがこれに賛同。開設リーダーたちは来年秋のオープンを目指す。
続くは、女性講談師・宝并琴桜の「安藤昌益発見伝」。二時間に及ぶ熱演は聴講者を楽しませ昌益理念を深めることに一役。八戸歴史研究会の近藤悦夫会員らによるフォーラムでは昌益の八戸来住は医事関係者の伝手などとされるが「大阪の商家から妻をめとり関係者に呼ばれたのでは」との新考察が関心を呼んだ。