八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員寄稿 故・寂聴さんと八戸
滝尻善英
法衣を纏い、人々の生き方や恋の悩みを聴き文壇でも数知れない功績を残した瀬戸内寂聴さんが逝かれた。 得度後、天台寺での法話に感動し、 ご自身も八戸地方に来られ「文化を粗末にする街は潰れる」と意義深い指摘もされた。ここで観音巡りや文学で教示を受けた当ク会員から師を偲ぶ想いを寄せてもらった。
◇寂聴さんとの思い出
滝尻 善英
平成十五年の元旦。私は神社の元旦祭事を済ませて、寂聴さんが待つ御山の天台寺に向かった。この年にデーリー東北新聞社より出版する 『奥州南部糠部三十三カ所観音霊場めぐり』の誌面に対談を載せるためである。寂聴さんは我々を満面の笑顔で御山の「寂庵」にむかえ入れてくれた。
寂聴さんが天台寺七十三世住職となって最初に行ったのは、全国の寂聴ファンの方々と白衣・笈摺姿で糠部地方の観音さまを巡ったとのこと。そして各霊場に駐車場などの環境整備をして欲しいと語っていた。
その後、寂聴さんが荒廃していた御山の敷地を蘇らせようと、京都から持ち寄って植栽した紫陽花は、現在3000株以上になっている。 「御山は自然が汚染されていないから、人の心も汚染されていません。 一木一草に観音さまが宿っています。」とは寂聴さんのセリフ。
寂聴さんは御山の観音さまに招かれて“観音めぐり”を後押ししているのではないでしょうか・・・。
囲まれて白寿の寂聴師の笑顔
善英 (合掌)