八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員文芸・論壇 展示会報告「名無し崎」
堀徳郎
十月十八日(土)、十九日(日)の二日間、三回町まちの駅で艇示会を開催した。
主題は「名無し崎、名無しの岬、名無し浜」??? 八戸の宝に名前を下さい ―全国発信ヘ― とハテナマーク一杯である。これは、何それは?と疑問をもってもらおうというのが目的であった。
幸い『デーリー東北』は展示会の紹介を二回も掲載してくれ、『朝日新聞』では地方版の「りんごの目」に掛園勝二郎記者が、展示会の内容もふくめて論評もしてくださった。ありかたい思いである。
展示の狙いは、通常の作品展とは全く異なり、市民への呼びかけ、提案であり、関心をお持ちの多くの方々が来場され、提案もいただいた。ペンクラブとしては、市民の意見をまとめて、市当局に順次提案をしていきたいと思っている。
一、名無し崎への案
鮫角、小舟渡岬、漁り火岬、恵比寿岬、サーモ岬、シーガル岬、タンネエサシ(アイヌ語)、日の出岬、マイルポスト崎、三石崎、親潮崎、トド岬などたくさん頂いている。
なお、広辞苑では、半島の小さなものを岬、崎、角、鼻などというと書いている。
二、名無し半島は「鮫ケ崎!」
皆さん、ここが半島?と首をかしげるが、汀戸時代初期の正保の南部藩国絵図に「鮫ヶ崎」の文字を偶然発見した。江戸時代三百年を通じてそう呼ばれていたようである。「鮫の岬」、「鮫ヶ浦」などの正式名称として「鮫ヶ崎」をあてるのは落着きが良いようである。
三、名無し浜は「煩悩」の塊?
次は、この「鮫ヶ崎」から北方はるか尻屋崎に至る優美な曲線の浜の名はと問えば、部分的な名はあるが、鳥瞰的に全体をあらわす名は見当たらない。津軽半島日本海側の美しい砂浜海岸には「七里長浜」と、どの地図にも記載されているのにである。
たまたま、若くして亡くなった地質学の同僚からもらったキルビメーターがあったのを思い出し、地図上をころがして測ったら、なんと百八キロメートルの数字がでてきた。これは囚縁であろうか。 とたんに、除夜の鐘を連想し、人間の逃れられぬ「百八煩悩」から[熕悩ヶ浜」「煩悩浦]が出てきた。この先には、下北半島の霊峰恐山、字曾利山湖から流れ出す「三途の川」、湖畔には「賽の河原」までそろっている。さらに進めば、天下の奇勝「仏ヶ浦」に至り、逆に三陸海岸を南下すれば、宮古の浄土ヶ浜が控えているといった塩梅である。 大乗仏教では「煩悩即菩提」と言い、煩悩があってはじめて悟りがあるのであり、究極においてこの二つは一つであると教えていると聞く。 このほか百里長浜、二十七里あることにかけて二十七里浜(じなり浜)、女性の美しいうなじを海路にかけて海路(うなじ)浜、ミスビードル浜などの案もいただいている。
四、名無し崎の「陰陽石?」
名無し崎には昔から見石、あるいは三石とよばれた巨岩があり海上からの目印となっていた。ところがそれを見た私の友人の僧正が、たちまち、これは「陰陽石だ、岡山の後楽園に同じものがある」と言ったのである。以来気になっていたが、最近金沢に行く機会があり、名高い兼六園に走って行き、聞き及んだ陰陽石を実見してきた。説明によると、大名庭園には流行のように必ず陰陽石があり、子孫繁栄の祈願のしるしであったとのことである。
それならば、天地自然の贈り物である我が「陰陽石?」はそこに立つマイルポストとともに、三陸海岸最北端のシンボルとして、また八戸繁栄の祈願のしるしとして発信していけるのではと思うのである。
なお、近所の方の話ではこの岬は、新年のご来光を拝みにたくさんの人が集まるとのことで、すでに意外な聖地、人気スポットとなっているようである。 (八戸ペンクラブ会長)