八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員外寄稿 人材の宝庫・八戸〈上〉

村谷公基

 「えっ―八戸に?・・・・」。やや間をおいて「大丈夫かなー」の声も。

 三十三年前、NHK文化センターを八戸に開設してはどうかーと部内で検討し始めた時の反応である。

 当時はNHKに限らず新聞社やデパート、流通業など多岐にわたる業界がカルチャーセンターを各地で展開しており、NHKでは既に二十カ所余、運営していた。八戸での開設についてはその三年前にオープンして成功した弘前が呼び水になってはいたが歴史や伝統に裏打ちされた文教都市弘前と比べた時、水産と工業都市の八戸に果たしてなじむだろうかとの一抹の不安があったことは否めない。

 そんなこんなで冒頭の会話になった訳だが僅か一年足らずで放送会館内に産声をあげることができたのは開設に向けて精力的に尽力された初代所長・寿恵村元文先輩の力量によるものであった。加えて、八戸の文化的風土が下支えになっていたことが大きい。また、受講生の九割が女性で占められていることからも、カルチャーに対する女性の関心が高く、言わば需要と供給のバランスが最適だったことも幸いした。著名人の文化講座などはいつも女性で満席だった。

 こうして平成元年十月、全国二十二番目の文化センターがスタートした訳だが、最も重要な講師陣の選定については、各界各氏の協力が大きく、とりわけ郷土史家の正部家種康さんのご助言は、これといった人脈もない寿恵村先輩にとって大きな力になったと後刻聞かされた。正部家さんについては今でも記憶しているエピソードのひとつに、当時の秋山皐二郎市長が「市の総務部長という多忙な職にあって、よく本を書く暇があるなー」と。正部家さん曰く「一日二十四時間のうち八時間を公務に、 八時間は睡眠に、残りの八時間が空いてますよー」と。正部家さんには歴史探訪を担当していただき松前城や宮島にご一緒した楽しいツアーの数々も。

 是川考古館の館長を務めた栗村知弘さんには学生時代から手がけた各地の遺跡調査の現地に案内していただいた。北海道木古内の遺跡、岩手・ 紫波の志波城址、奥州市の胆沢城址など往時を偲ぶ文化遺産の学習は歴史好きな受講生に好評だった。

—以下次号— (むらたに・こうき=NHK文化センター元八戸支社長=盛岡市在住)