八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員論壇 人間は賢い存在なのか
木村久夫
私は十年ほど前から韓国のテレビドラマをよく見ていた。それらは、高句麗・百済・新羅の三国時代や李王朝期を素材にした時代劇である。各ドラマとも、フィクションはあるが史実によく則っており、時代考証もすぐれているので、朝鮮半島の歴史を知ることができる。各ドラマの伏線にあるのが、当時の「身分制度」であり「奴婢」の存在である。 とくに「推奴」は奴婢の視点から製作したもので、奴婢を所有する主人の残酷さと、そのような主人に対して反撃する奴婢たちの物語であった。
奴婢たちの大部分は、その底辺身分からほとんど抜け出すことが出来なかった。過酷な主人の使役から逃亡をはかっても逃亡奴婢の探索者ある推奴によって連れ戻され、一層厳しい処罰を受ける。とくに私が衝撃を受けたのは、男の額に「奴」と、 女の肩に「婢」と、焼き印を押す場面であった。この焼き印は一生消えぬものであるだけに、その残酷さは苛烈である。また、奴婢は売買の対象でもあった。価格は「婢五人で牛一頭」という。ある奴婢が「私は家畜より劣る人間だ」と語る場面があるが、その屈辱の極みにある情念を思いやったとき、ドラマとはいえ私は涙がこみあげてきた。
李王朝時代(一三九二〜一九一〇年)の身分制度は、「両班・中人・ 常民・賤民」で構成されていた。「両班」は地主や文官・武官である文班・武班の総称で特権階級、「中人」 は両班を補佐する技術官僚、「常民」 は農民・手工業者・商人、「賤民」 は奴婢が大半を占める下層階級で、 奴婢は奴隷である。この制度は、李王朝が滅亡する一九一〇年まで約五二〇年間も続いたのである。
日本の奴婢制度は、飛鳥時代の大宝律令(七〇一年)と奈良時代の養老律令(七一八年)で完成した。律令では「良民と賤民」に大別された。「良民」は貴族・官人・百姓で、「賤民」の最下層に奴隷である奴婢があった。 奴婢には「官奴婢」と「私奴婢」があり、いずれも売買の対象であった。
「奴婢一人」は「馬一頭」か「稲八〇〇〜一〇〇〇束」の価格であったという。
平安時代後半、律令制の崩壊とともに、奴婢制度は廃止令が出たことから制度としては消えた。しかし、 中世以降は封建領主とこれに隷属する農民(農奴)との支配関係が成立し、江戸時代の身分制度へと引き継がれた。
人類の歴史を見ると、ほとんどの民族や国家は奴隷 (的)を前提とした身分制度を作り、それを永く維持してきた。当時の人間の感覚では、奴隷の存在はごく当然のことであったようである。そこには、差別意識・ 利己心・残虐性・支配欲・優越感など、人間の「悪しき本性」が底流にあったと言えるであろう。
奴隷制度は「悪」であるという考えは、「啓蒙思想」が広く普及したことによる。啓蒙思想は「自由・平等・博愛」を旨として、十七~十八世紀にかけてヨーロッパで広まった反封建的な合理主義思想である。ルネサンス・宗教改革を経て中世から脱しつつあったヨーロッパ社会において、旧来の制度や思想に反発して、 理性を広めようとしたもので、フランスでは大革命(一七八九年)の思想的基盤となった。
なお、この思想により、ヨーロッパでは「白人奴隷」は「悪」であるとして廃止されたが、代わって「黒人奴隷」を売買の対象とするようになり、アフリカから南北アメリカ大陸への大量の黒人奴隷の移送が行われた。人間の「悪しき本性」は、なおも続いたのである。
現代の世界の国々は、民主主義を標榜し、法的に国民の基本的人権を保障していることから、奴隷の存在はない。しかし、多くの国々では現在なお、実質的に奴隷といえる人身売買が横行しているし、人種差別や人間性を蹂躙する犯罪も多発している。また、紛争国では、大量の殺戮や誘拐が平然と行われ、国を捨てざるを得ない多数の難民も生まれているのだ。
これら悲劇の因となっているおぞましい人間の「悪しき本性」を目にするとき、「人間は賢い存在なのであろうか」とつい考えてしまう。
(八戸市在住)