八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

福井桂子さんを知っている?

道合政邦

 八戸の商店街を歩くとあちこちの店頭に『八戸のうわさ』のフキダシシールが見えます。通称やぐら横丁 (十六日町)で「店長のおじさんは芥川賞作家なんだって〜!」を見つけました。そういえば、ある週刊紙に八戸出身である三浦哲郎氏の芥川賞作家の後輩、三木卓氏(本名富田三樹)夫人、福井桂子氏(故人) が八戸出身と書いてあったことを思い出した。街には桂子さんの親族の方々が暮らしていることも分かりました。

 その福井桂子さんとの結婚生活が文学雑誌「群像」二月号へ三木卓氏によって執筆掲載せられていることを知って購入し一気に読破しました。

 彼女は昭和十年一月一日、八戸市八日町で青果物卸商の福井常治さんとヨ子さんの8人兄弟姉妹の五女として生まれたこと。生後、間もなく他家の乳母に預けられ、新入学時に自家へ連れ戻されたこと。そして地元の八戸東高等学校を卒業し上京、 東京女子大文学部西洋史学科に学び卒業、「福音館」書店へ就職。このころから日本文学学校に通い菅原克己、 針生一郎、長谷川龍生の諸氏らの教えを受け詩作をはじめる。後の、菅原氏主宰の詩誌「P」に参加。生涯同人を通す。

 その間、昭和三十五年に三木氏と結婚。昭和三十九年に長女真帆さんを難産のすえ出産。彼女は小柄で33kg の身体ながら結婚生活47年。悪性のガンとの闘病生活4年7ヶ月によく耐え、平成十九年九月二十六日三木家の家族に見守られながら黄泉の国へ旅立たれた。

 桂子さんは、72年の生涯の中で7冊の詩集を上梓。詩人村次郎氏に第三詩集「少年伝令」を謹呈している。 没後、夫君、令嬢と詩友の吉田文憲氏の協力で「福井桂子全詩集」を出版。八戸市立図書館にも寄贈本があります。三木氏の長編によれば、桂子さんは結婚してから十年間に一度も帰郷しておらず、かえって僕の方が東北へ行った時に彼女の実家へ寄って、お線香を上げて来たりしたことを思い出すよと書いています。

 最後の単独詩集となった「風攫いと月」の後書きに、昭和十年代の北東北のことを彼女が書き残しています。 「この二つの家を往還するとき、幼児の私は、三歳ごろにこの世界の存在のなんともいえない淋しさに気づいたのでした。大人と子供の感受性は、 変わりがないのです。のちに、これほど長く詩を書いて来たのは、その存在の淋しさをうずめるためであったのかと思いめぐらしたりします。

 彼女は生後まもなく近郊の寒村だった新井田村十日市の大工、林家、 チヨ女に預けられ、学齢期まで乳母と子の関係で育てられたこと。その林家では、桂子さんを強く愛し養女に迎えたいと懇願したとも伝えられています。この二つの家庭を往来する中で幼児ながらも彼女は、三歳頃から既に仏教でいう無常観のような心境を体験していたと思われます。

 福井桂子さんの名を私が初めて耳にしたのは確か、八戸文化団体「イカノフ」が数年前、市立美術館で開催された展覧会会場での特別イベントの中でした。そこで桂子さんの詩と特異な詩人黒田喜夫氏の詩が左藤恵氏によって朗読されたのでした。 それ以来、彼女調べが開始され、市民に彼女の存在を知らせたくなりました。

 今こそ、彼女を故郷八戸へ、みんなで温かく迎えてあげたいものと思っています。できれば、八戸の先人として「八戸の女性史」の一頁にも加えてあげたい人物だと思われるのです。