八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
逝去から11年、三浦哲郎さん命日に対泉院の古代ハスを撮り偲ぶ
吉田德壽
芥川賞作家・三浦哲郎さんが逝去されことしで11年。命日は八月二十九日だが実は筆者、十一年前のこの日、八戸市新井田にある古刹・対泉院で古代ハスの花を写真撮影していた。そこへ「三浦先生が亡くなられた」という連絡が入ったのだ。
対泉院の貴福池には市内の清水寺から移された古代ハスが例年、きれいな花を咲かせることでも有名。筆者は東奥日報社編集委員としての縁もあり編集局長から「三浦先生の評伝を書いてほしい」と要請された。 この日、東京から安藤昌益研究家たちが来八し飢餓供養塔など昌益思想の軌跡を追っていたが、筆者は夜の懇親会も失礼し評伝纏めに取りかかった。
以来、筆者は出張などなければ必ずこの日、貴福池で赤紫の美しい花を咲かせる古代ハスをカメラに収めてきた。ことしもハスの生え具合が少し寂しいが、同院の開門と同時に境内に入り、三浦さんや昌益たちに合掌し写真撮り。池を2〜3周し撮ったコマ数は優に50枚は超す。
三浦さんとはよく暖簾をくぐった。八戸だけではなく、青森や東京でも。勤務が東京時代は「お能を観よう」 となり、能舞台へ。だが、鑑賞後「一杯やろうか」の声に「先生、能舞台と落差が大きすぎませんか」と笑い合ったこともある。
「おろおろ草紙」という作品は天明飢饉に窮した住民が人肉を喰う。 この作品を手掛けた三浦さん。辛い文体に手が震え書けなくなれば対泉院の飢饉供養塔に手を合わせたという。ことしもこうした逸話を想い出し偲んだ。
(会員、八戸在住)