八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員資料特集 八戸の情報誌百年(下)

三浦福壽

 昭和四十年(一九六五)年に始まったイザナギ景気のなか昭和四十一年に『月刊ぷれいがいど・はちのへ』が創刊。五人の編集人の顔ぶれは、 当時八戸の文化を牽引していた中堅のメンバー。(前号参照)

 創刊号は中里進流の編集方針が色濃かった。四十年まで「北方春秋」 をまとめてきた中里進の活躍の場がここに移ったかに見えた。

 ところが二号目から誌名、発行社、 発行人、編集人ともに変更されていた。アートプロ発行「月刊ぷれいがいど・東北」がそれだった。

 それから五年後の昭和四十六年 (一九七一)年に中里進はふたたび 雑誌づくりに挑戦。それが驚くも、なんと週刊誌発行を目指したのである。 「週刊あみゅうーず八戸」は二年目に入って旬刊になり、やがて月刊になっていくが、ここに翻弄された人々の姿が思い起こされてならない。

 「何でもこだわってみよう」の中里イズムは、現在四百七十余号を数える「月刊アミューズ」に引き継がれているのかもしれない。

 昭和四十九年(一九七四)年にデーリー東北新聞社から『月刊きたおぅう」が創刊された。 (前号参照)

 第一次石油ショックの影響は新聞の紙不足にまでおよんだ。新聞のページ数削減による広告収入の減収を抑えようとの策は雑誌発行へと動いた。

 総合雑誌の価値は、その時代に生きた人々の生活や声が反映されているかにつきる。その点で「月刊きたおぅう」の存在の意義は大きかった。

 昭和五十年代に入っても創刊ラッシュが続いた。七誌あったなかで季刊の「八戸文化通信」は横田史観を織り込んでの編集で固定ファンをつかんでいった。

凡例 ①発行年②雑誌名③発行所 ④所在地⑤発行人⑥編集人⑦印刷所⑧判型⑨その他

①昭和五十年(1975) ②月刊アキュート八戸 ③東洋アドシステム(本社盛岡市) ④八戸市三日町丸福ビル ⑤菊池瑛一 ⑥関下まり子 小原啓子 中島正雄ら ⑦ふるさと印刷㈱  ⑧A5変形 ⑨ファションページを特集

①昭和五十一年(1976) ②トータルメディア  ③トータルメディアRC  ④八戸市島屋部町 ⑤嵯峨昭彦  ⑥嵯峨昭彦  ⑧B6 ⑨5号で終刊

①昭和五十三年(1978) ②スカイライト ③航空通信社 ④八戸市新井田法光野 ⑤石橋万吉 ⑥スカイライト編集室 ⑦文展美術印刷㈱  ⑧B5(隔月刊) ⑨ヤングメンの投稿、情報パロディー誌、東松照明同行記など掲載

①昭和五十四年(1979) ②B&G(ボーイズ&ガールズの略) ③東洋アドシステム㈱八戸支社 ④八戸市三日町丸福ビル ⑤ B&G編集部 ⑥B&G編集部(高橋・中村ら) ⑧A5変形 ⑨はちのヘタウンガイド、ヤングライフマガジン

①昭和五十五年(1980) ②八戸文化通信  ③八戸文化通信社 ④八戸市糠塚 ⑤横田栄一 ⑥横田栄一  ⑦赤間印刷工業㈱  ⑧A4 ⑨政治・経済・文化の総合誌、2010(平成二十二年)に通巻124 号で休刊

①昭和五十八年(1983) ②謔浪時代(たわむるじだい) ③グループ「諦浪時代」 ④三戸郡階上町浜久保 ⑤坂下正助 ⑥グループ 「離浪時代」 ⑦ふるさと印刷株  ⑧A4(隔月刊) ⑨江刺家均、小国英雄ら執筆、詩人の魂を凝集、レイアウト立神功助 定価300円 9号で終刊

①昭和五十九年(1984) ②月刊NOAH(ノア) (7号から月刊「風の街」に誌名変更) ③ノア出版(7号から東北時事出版社に変更 ④八戸市柏崎一丁目 ⑤豊嶋伸夫 ⑥豊嶋伸夫 ⑦八戸印刷工業(株) ⑧B5(隔月刊) ⑨ 八戸における雑誌 100年目を飾るにふさわしい総合雑誌  (完)