八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸・論壇 美術を通し先人たちから学ぶ

安田勝寿

 古い玩具蒐集から数えて、古美術の世界に係わり二十年の歳月が流れた。蒐集初期は、玩具を中心に集めていたが、次第に興味が別な方向にそれてゆき、今では絵画や、甲冑、 掛け軸にまで及ぶ。

 自分の琴線に触れる、江戸時代から昭和にかけての古物があれば、手当たり次第集め、そして、徹底的に調べ上げ、研究し、撮としている。

 最近、「どちらが本業ですか?」と、「挨拶代わりに訊ねられることもしばしばある。どちらとは測量業か、古物商かである。勿論測量を生業としているのだが、たまには古物商を名乗るのも悪い気はしない。小野画廊さんに叱られるかもしれないが。

 骨董・古美術の世界は本当に奥深く、簡単には踏み込めない威厳と、 荘厳さを持ち合わせている。それだけに妙味を知ると、病み付きになる不思議な魅力がある。

 ただ闇雲に集めても収拾がつかないので、地元で活躍した方々の美術作品を中心に、背伸びせず蒐集している。中でも特に思い入れのある、 八戸出身のお二人を紹介したい。

 まず一人目は、没後百年の節目を昨年迎えた、西有穆山禅師である。 当クラブ会員の柾谷先生が、禅師を題材にした舞台を企画し話題になった。禅師は、明治三十五年に曹洞宗第七代管長に就任。仏教会を代表する傑僧と言われた人で、八戸を代表する偉人の一人である。

 市内の寺院や個人宅にも、禅師ゆかりの墨蹟や遺品が数多く残されている。私が禅師の作品と出会ったきっかけは、偶然仕事で伺った解体前の蔵に出くわしたことだ。

 蔵に入るなり、おもむろに持ち主が掛け軸を取り出した。私は禅師の作品だけは地元に残したいと、掛け軸を譲り受けることができた。達磨が描かれた三幅対の神々しい掛け軸に対峙して、あまりの迫力に身が引き締まる思いと、感動を覚える。

 さらに、右肩上がりの美しい文体、 躍動感溢れる筆使いも見事なものである。落款も数種類存在し、朱色の鮮やかさも際立つ。近くに寄るもよし、離れて観賞するもよしだ。

 以来、穆山禅師の研究のために、 美術館の学芸員さんにお会いしたり、 関連書籍を買い求めたり、とかなり勉強させていただいた。掛け軸は贋作がつきもの。故に、真贋の見極め 「方も随分調べた。最近では、所有の掛け軸は本物であると確信している。

 こうして、偶然、一本の掛け軸との出会いにより、芸術の奥ゆかしさに触れる貴重なきっかけとなった。 美術的価値はともかく、今はなき偉人たちに後押しされながら、八戸ゆかりの作品集めに没頭している。

 そこで見えてきたのは、禅師は浄財などをすべて孤児院などの施設に喜捨し、慈善と社会奉仕の心を持って生き抜いたということである。今更ながらも、禅師の遺徳をしのび、 功績を忘れてはならないと思う。

 二人目は、八戸出身の二科会会員画家石橋宏一郎さんである。油絵を中心に、水彩画、パステル、炭、ボールペン画と幅広く集めている。

 日頃の蒐集・研究の成果もたまにではあるが役にたつ事もある。ペンクラブの会合で山根勢五さんが隣り合わせた時の話に及ぶ。山根さんが、 現在デーリー東北に連載中の、「はちのへ・るねさんす」に石橋さんの記事を書かれていたので、いろいろとお話をさせていただく機会をもつことができた。

 会話の中で、次回の寄稿に使う戦後間もなく石橋さんが描いたヌードデッサンを、急いで探していると伺った。偶然にも、私は炭で描いたヌードを十枚ほど買い入れており、 その中の一枚を、新聞紙面のカットに提供することができたのである。

 先輩のお役にたつ事ができて、地道に集めた甲斐があったと思う。

 石橋さんの作品は正直のところ美術の価値基準において、さほど評価を得ない作品であるかもしれない。 それでも、石橋さんの遺した絵は、 力強いタッチと、大胆な構図のぶつかり合いから生まれた、まさにエネルギーの塊が凝縮されたような非常に刺激的な作品であるだけに、私は日本版シャガールと評価している。

 二科展に五十年以上も出品し、会の最古参として、評議員まで務められたのだから、もっと評価されるべきであろう。明治四十四年生まれの石橋さんは、来年生誕百年を迎える。

 郷土を愛し、一心に北国を描いた石橋さんに敬意を表し、私のコレクションで恐縮ではあるが、ささやかな展示会を開催できればと思っている。勿論、会場は八戸会館で・・・・・・。