八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club
会員文芸・論壇 藁のオムレツ
中川真平
「藁のオムレツ」という不思議な食べ物がある。あるといっても、宮沢賢治の「ベンネンネンネンネネムの伝記」という物語の世界でのことだ。この作品は一般には知られていないが、有名な「グスコーブドリの伝記」の原型となったもので、架空の化け物世界が舞台である。その化け物世界で特別に地位の高い者しか食することが出来ないのが「藁のオムレツ」である。 賢治は厳格な菜食主義者と思われがちで、もちろんそういう時期もあったが、反面、農学校の教師時代は給料の殆どを自由に使えたこともあり、高級な西洋料理店等にもしばしば足を運んでいる。何しろ作品には実に多くの食べ物が登場する。相当、食べ物には詳しいし、知識だけでなく実際に口にしていなければ、そう簡単には書けなかったろう。
豊かな家に育ったが、若い時に苦労し、三本木原開拓に出かけなければならなかった祖父は、晩年には、ややごうつくばりの食い道楽となった。特に魚にうるさく、賢治の母はいつも苦労したという。おかげで宮沢家には賢治の母のレシビが残されていて、賢治の命日の精進料理は、それは見事なものである。
このように食い道楽の面もあった賢治にちなみ、賢治の命日九月二十一日の翌日から開催される宮沢賢治学会の定期大会の交流会では賢治ゆかりの料理がこれでもかと振舞われる。
しかし、いまだに「藁のオムレツ」は登場したことがない。せいぜい、「蕨オムレツ」までである。そもそも藁を人間が食べることができるのか。ほとんど全ての人が架空の食べ物だと思い込んでいるようだ。
ところが、藁を人々は確かに食っていたようである。いま、手元に見当たらなくて書名がはっきりしないのだが、作家水上勉氏によると、盛岡南部藩の古い文献には江戸時代に殿様が藁の調理法まで作って、領民に広めていたという。稲に実が入らないことがわかったら青いうちに刈り取って煮たり刻んだり、かなり複雑な手間がかかるようである。
また、大正二年の大凶作の年の秋に八戸地方で藁を食べている農家の人々の写真が「藁を食う農民」と題して『ふるさとの思い出写真集明治大正・昭和・八戸』(中里進編昭和五十五年国書刊行会)に掲載されている。「藁、香煎を常食として、他にはドングリやトチの実、松の皮、アケビの皮、イモの茎、ワラビの根、ワラビの粉、およそ食べられるものは何でも食べた」とある。
このように、確かに我々の先祖は時には藁も食べていたのだ。おそらく、賢治はそのことを踏まえて「蓆のオムレツ」という料理を創作したのであろう。
その藁について、かつてNHKの「コメディーお江戸でござる」などの名解説でおなじみの石川英輔氏が、NHK「カルチャーラジオ」「歴史発見」のテキスト「世直し大江戸学」で目から鱗が落ちるようなことを論じている。近代化のはてのこの困難な状況を脱するにはいつまでも事情の違う欧米諸国にモデルを求めずに、自らの過去、江戸時代を見直して見るべきで、その象徴的な例として藁の大循環に触れている。
山が多く水の豊かな日本風土に合った稲作栽培だが、米だけでなく藁の質や収穫量まで考えて品種改良したのは日本人だけらしい。藁は用途が多く、五割は堆肥、家畜の敷藁、飼料となり最後は有機肥料。二~三割がそれぞれ燃料と藁製品の材料となった。燃料となった藁灰はカリ肥料となり、縄、むしろ、かます、俵、わらじ、ぞうり等は最後に土に返り、稲藁循環回路が完結した。本当のエコである。そんなことはいまさら無理だと思うかもしれないが案外そうでもないかもしれない。
たとえば、アメリカ合衆国にアーミッシュと呼ばれる人々がいる。二十年ほど前にリチャード・ギア出演の「目撃者」という映画で日本でも知られるようになった。キリスト教の少数派の宗教的共同体だが、約十万人の人々がオハイオ、インディアナ、ペンシルバニアといった北東部を中心として22州にわたり住む。近代文明の象徴である電気、機械、自動車、水道を使わないといいながら、一般社会から孤立して住むのでなく、分散しながらも共同体を保って小規模農業を営み生きている。
しかも、絶対平和主義で国家に頼らない。十数年前にテレビで人気のあった「大草原の少女ローラ」のような生活だという。物質文明の最先端を行く合衆国でアーミッシュへの入村希望者が多くなり断るのが大変だという。
昨年は二十世紀最大の歴史家とうたわれたイギリスのアーノルド・ジョセフ・トインビーの生誕百二十周年であったが、彼が二十一世紀の杞憂としてあげていたのは「ナショナリズム」と「貪欲信仰」であった。飽くなき物質的欲望と、自分だけ、自分の国だけよければ良いという考えは根底で繋がっている。残念ながらトインビーの悪しき予感は益々当たってきている。
たとえば国際環境会議は全く進展しそうもなく、環境は悪化していくことは必至だ。内外で禁煙運動がやかましいが、それよりも車の排気ガスの害の方が大きいであろう。公共交通を充実させたらどれだけ空気が綺麗になることか。貪欲信仰から最も解放されているのがアーミッシュなのではないだろうか。 (NHK文化センター八戸教室講師・宮沢賢治学会前理事)
(編集委注)アーノルド・トインビーは二十世紀の最も独創的かつ良心的な歴史家ともいわれる。憲法第九条を守り抜くように説いたことでも有名である。