八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

会員文芸・論壇 南部藍をご存じありませんか?

川守田礼子

 きっかけは、母と出かけた京都旅行です。ある年、三月下旬のうららかな陽気に、華やいだ気分で、祇園の花見小路を歩いていると、ふと目にとまったものがあります。藍染の暖簾に「佐藤昭人」というお名前。はて、どこかで拝見したような…?おー!そうだそうだ。母が、以前買っておいたのよ~、とおもむろに出して見せた藍染小紋に染め抜かれていたお名前ではありませんか。これも旅の御縁とばかりに、暖簾をくぐって店内にお邪魔したのでした。

 そこは天然藍染製品の専門店で、着物からタペストリー、小物まで揃った店内はまさに藍色のグラデーション。古代から漢方薬としても重宝されてきた藍の特性を生かした健康食品も販売されています。そのひとつ、藍葉をミックスしたという抹茶カプチーノを頂きながら、藍染について、お話を伺いました。

 わたしたちが藍染としてイメージするものは、深い深い青色。これは、藍を発酵させることではじめて得られる色です。前述の佐藤昭人氏は、日本藍染文化協会会長で、「天然灰汁(あく)発酵建て」という技法を受け継ぐ第一人者です。天然灰汁発酵建ては、化学薬品を一切使わずに藍液を造る江戸時代からの伝統的な技法で、この技術を継承しているのは全国でも十人程度しかおられないとのこと。皆さん、伝統技術の保存と普及に尽力されています。美しい藍色を生み出すまでのなみなみならぬご苦労に感動するとともに、すっかり藍染に魅了されてしまった親子は、むずむずと藍染に挑戦してみたくなりました。無謀にも、一包の阿波徳島産の藍の種子を購入し、藍の栽培から始めてみることにしたのです。

 藍染の歴史は古く、古代日本においては「藍」という言葉そのものが染料全体をさすほど、親しまれていました。回様に、世界のあらゆる地域で藍染は行われています。エジプトのミイラに巻かれた布が藍で染められていたり、アンデス山系の遺跡から木綿に濃い藍で染色されたものが発掘されたり、などなど。

 手元にある吉岡幸雄監修の植物染のテキストによると、藍による染色法は二つあるとのことです。

 一つは、「建染(たてぞめ)」といい、木灰や消石灰などアルカリ性の液に藍を入れ、18℃以上の温度を保つと藍に含まれる菌の作用により還元した色素が溶解するのを応用した方法です。これをいわゆる「藍を建てる」と称します。前述の佐藤氏らの技法もこちらに属します。刈り取った藍の葉を繊維発酵させて貯蔵する染(すくも)法の発見により季節を問わない藍染が可能になり、こちらが藍染の主流となっていきます。

 しかし建染は、温度管理やタイミングの判断が大変難しいのです。これが専門技術の専門たるゆえんでもあるのですが、藍染初心者には大きな厚い壁です。

 そこで、もう一つの方法を試みることにしました。「生葉染(なまはぞめ)」です。これは、ちぎった生葉を水に浸けて、よく揉み出し、その染液で直接染めるという、いとも原始的な方法で、生葉が得られる季節だけのもの。これなら初心者でもできそうです。この方法は古く『延喜式』雑染用度にも見られます。また。『古事記』には「山県に蒔きし あたでつき(藍蓼搗き) 染木が 汁に 染衣を」と記され、古式ゆかしい生葉染を彷彿とさせます。

 五月運休も過ぎた頃にようやく播いた藍の種でしたが、それからすくすくと若芽は伸び、真夏の太陽を仰ぐ時期には、一面籃の葉が茂るまでになりました。驚くべき繫殖力に目を見張りつつ、草木染めに興味の持っている学生にも協力してもらって、さっそく生葉染に挑戦してみることにしました。工程は単純です。

①生葉を包丁で刻む。

②ミキサーで水とともに攪拌する。

③さらに揉み出し染液をつくる。

④布を浸して染める。

これだけです。しかし、「これだけ」が大変なことといったら!!

 まず、多少の文明の利器は活用したものの、ほぼ人力による作業です。山盛りの藍葉を相手に「刻む、揉み出す」を繰り返す耐久レースを展開せねばならないのです。さらに、藍葉は刈り取っだ時点から見る見るうちに酸化していきます。一度酸化したものは二度と布に染まりません。つまり、前述の工程を短時間にすばやく行う必要があります。四人で手分けしながら、食事も忘れて没頭し、数時間、ようやく生葉染の色彩と出会った時の感動は忘れられません。

 澄んだブルー。とても若々しい生命の息吹の色。太陽を受けて、風をはらんで、その青は輝いて見えました。天候や布の状態によっても、青の色彩はさまざまに変化します。はっとするほど鮮やかな空色の時もあれば、落ち着いた渋い藍鼠が現れる時もあります。自然がもたらす色の幅の広さを見た思いがしました。こうして、生葉染は、夏を惜しむ我が家の年中行事となったのでした(と申しても、まだ二年目ですが…)。

 さて、最後に、日本国内における藍の生産地は江戸期より阿波徳島です。藍は南方系の植物ですが、以前、寒冷地用に品種改良した南部藍が生産され、南部古代型染という伝統工芸へと発展したと聞いたことがあります。現在、南部藍は生産されていないようですが、途絶えてしまったのでしょうか?どなたかご存じでいらっしゃいませんでしょうか? (八戸ペンクラブ監事)