八戸ペンクラブ
The Hachinohe P.E.N. Club

特別リポート 名無し崎???

堀徳郎

1 鮫角灯台はとこにあるの?

 昨年は種差海岸の国の名勝指定七十周年で、鳴き砂海岸の全国大会も開かれ美しい白砂青松が大いに面目をほどこした。しかし七十年前指定のときの景観はどうだったのかといえば、具体的なイメージはなかなか市民の共有になっていないようである。私は「小さな浜の会」の呼びかけで時折ゴミ拾いの会に参加しているが、ちょうど七十年前に建設された鮫角灯台が、ほとんど街道からは見えず、市民の多くは見たことがないようだと気がついた。

 この灯台は全国五十灯台に数えられる美観であるのに、大平牧場側からは壮大な姿が間近にみえるが、街道や鉄道側からはほとんど見えないのである。

 先月、灯台近くの岬の岩山に登ろうとしていた二人連れに声をかけたら、茨城から灯台を見に来たが行き着けなかったというので、「シーガルホテルの駐車場を進んで塀にぶつかるから左へ」と教えたら「左でしたか」と喜んでいた。隣接地に建つホテルからさえ見えないのだ。

 近くに東山魁夷の「道」の碑がある。絵が描かれたころの写真では、その場所から灯台の全景が見えていたのである。数ヶ月前までは、そこからの灯台は松林に隠され先端が見えるだけになっていた。幸いにもごく最近、半分くらいが見えるようになり、夜、光芒がひらめくと、そこに立つ自分の影がはっきり路面に映るようになった。まことに感動的場面である。聞けば最近東北電力が何本か松を伐採したという。先ず、八戸の宝と呼ぶにふさわしいこの灯台を巡る景観をなんとか市民の手に取り戻したいものである。

2 「名無し崎?」に名前を下さい

 灯台の直下二百メートルほどに岬がある。なんという岬かなと近づいてみたら看板あり「ごみすてるな。処罰されます」でがっくり。そこに立つ道路標識には「左へ八戸水産科学館1.6㎞。右へ葦毛崎0.5㎞」とあり、なんとこの岬の名は書いてないのである。鮫の住人の話では「かりまた」という岩があったとのこと。古地図には「見石」の名が見えるが、岬とは意識されていなかったようである。大縮尺の地図にも住宅地図にも岬の名はないので、私はたちまち「名無し崎」と名前をつけた。市民の力で全国に発信できる名前をつけたいと念願している。八戸PEN事務局への投稿をお待ちします。

 ところで、この岬に立つ鉄筋のポールは何であろうか。諸説があるようだ。

 ①霧笛の装置
 ②日本軍のレーダーアンテナ
 ③もう一本あるポールと合わせ真北を指し示しコンパスの修正に使った。①マイルポス卜と言いもう一本のポールと合わせて船舶の速度を測定したなど。

 いずれも航海に関して重要な意味のあるポールのようであり、またこの岬の役割も極めて大きなものがあったのではないか。読者のご教示をいただきたいと思う。

3 「名無し崎」の位置の意味と将来

 東北地方の地図をひろげると、この岬のきわめてユニークな位置が分る。すなわちこの岬は南方約300㎞牡鹿半島に至る三陸海岸の出発点であり、北を見れば下北半島の先端尻屋崎に続く砂浜海岸約百十㎞への切り替えの頂点なのである。南には浄土ヶ浜、北山崎黒崎灯台を中心とする陸中海岸国立公園があるが、陸中とはどこ?と首をかしげる人も多いのではないだろうか。一方、三陸リアス式海岸は全国民の常識になっている。将来は「名無し崎」鮫角灯台から牡鹿半島金華山灯台に至る「三陸海岸国立公園」と改称し全国民の宝にしていきたいものである。

  (八戸ペンクラブ会長)