HACHINOHE HISTORIA

ケツラク・シュッポンコウ(イチ) ―ハチノヘハンノジレイヲチュウシンニ―

欠落・出奔考(一) ―八戸藩の事例を中心に―

著者:工藤 祐董

 戦国期には、「欠落」は戦場よりの離脱逃亡を意味したが、幕藩期には「失踪」の意に用いられた。 逃散は集団的・政治的な農民の逃亡であるのに対して、欠落は個人的・家族的な逃亡・失踪である。また庶民の失踪を欠落と呼ぶのに対して、武士や神官僧侶の失踪は出奔とか遂転と呼ばれている例が多い。 欠落・出奔の事例は藩の日記類に多数見られ、その原因も種々であり、枚挙にいとまがない程多数の事例があるが、藩の日記類の欠落に関する記述は簡潔であり、藩政中期以後は特にそうである。  また藩の日記類の記述を傍証する留書等も存在しないと言ってよい。したがって、欠落出奔の真相を解明する事は極めて困難であるが、欠落・出奔に対する藩の法的処理等を検討したい。

掲載元情報光星学院八戸短期大学研究紀要第9巻(1986)pp.一-十三
カテゴリー歴史(近世以前),地域分析
発行年月日1986/12/20
閲覧先八戸学院学術情報リポジトリ
閲覧先での公開範囲非公開