HACHINOHE HISTORIA

シンブン『ハチノヘ』ブンガクキジモクロク -メイジヘン(イチ)メイジヨンジュウサンネン-

新聞『はちのへ』文学記事目録 -明治篇(一)明治四十三年-

著者:小山内 時雄

伊藤徳一が『東奥日報』に昭和三十八年十一月三十日から十二月十四日まで日曜日を除いて十三回にわたって連載した「青森県新聞界の歩み」の第十回(昭38・12・11)によれば、八戸における新聞の誕生は、明治三十二年『八戸商報』(週刊)が生まれたのが最初であるという。ところが、『概説八戸の歴史下1』(昭37・5・1再販)では、明治三十二年十二月十日の創刊としている。いずれが正しいのか判断の資料を今は持合わせないが、この『八戸商報』が明治三十五年八月八日、『はちのへ』と新聞名を改め、土曜会の機関誌となったとある。この年月日は『八戸市史』『青森県近代史年表』(昭48・3・28刊)も同じであり、『八戸俳壇の歩み』(関川竹四、昭57・11・13)もこれに従っている。

掲載元情報八戸学院大学紀要 第4号(1985) pp.1-34
カテゴリー歴史(近代・現代),文化
発行年月日19850301
閲覧先八戸学院学術情報リポジトリ
閲覧先での公開範囲非公開