ハチノヘハンセイウンエイノジッタイ(サン) ―ハチノヘハンシハイキコウヲメグッテ―

八戸藩政運営の実態(三) ―八戸藩支配機構をめぐって―

著者:工藤 祐董

 八戸藩には『舫』と称する制度が存在した。これは参勤交代に御供を命ぜられた家中武士の経済的負担を軽減する目的で創設さ れたものである。  参勤交代に伴う経費は、諸藩財政窮乏の有力原因だった事は周知の事実であるが、参勤交代に随行する諸藩武士の出費も、その家計に困難をもたらすものであった。 武士は俸禄によって奉公すべきものであり、参勤交代随行に要する経費も俸禄によって賄うべきものであった。  しかし、参勤交代随行を命ぜられた武士は、その経費支弁が困難な場合が多く、藩当局に経費の拝借を願い出ても、藩当局もそれに応ずる余裕に乏しく、その経費を藩庫から支給する事も殆ど不可能であった。参勤交代に随行する家中武士の経済的困窮を救済すると共に、藩の財政負担も殆ど無い方法として創案されたのが、民間の「無尽・ 頼母子」や、これに類する舫に倣った藩営の無尽・頼母子であり舫であった。山形藩の「大頼母子」が前の者の例であり、盛岡・八戸藩等の「舫」が後者の例である。

掲載元情報光星学院八戸短期大学研究紀要第15巻(1992)pp.一-十二
カテゴリー歴史(近世以前)
発行年月日1992/12/20
閲覧先八戸学院学術情報リポジトリ
閲覧先での公開範囲非公開