センショクジンコツニオモウ
染色人骨に想う
著者:滝沢 幸長
是川遺跡は八戸市中居林から右折して、 島守に至る街道の右側、 新井田川を挟んで是川団地の対岸に位置し、 縄文文化期の中居、堀田、 一王寺等の遺跡の総称である。 それらのうち、一王寺遺跡は中期の円筒式土器を主とし、堀田遺跡は後期と晩期の遺物包含地として知られている。これらに対して中居遺跡は、早期の貝殻文土器から歴史時代の土師器、 須恵器に至る遺物を出土しているが、とくに晩期の亀ヶ岡式土器(西津軽郡木造町亀ヶ岡) を大量に出土しているので有名である。 この中居遺跡江戸温は大正9年に、土地の所有者である泉山岩次郎氏と、 義弟にあたる泉山梨次郎氏らによって発見され以来両氏をはじめ大山柏、甲野勇、 喜田貞吉氏らの学者によって、 しばしば発掘が行われてきた。
掲載元情報 | 八戸短期大学研究紀要第2巻(1975)pp.25-30 |
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カテゴリー | 歴史(近世以前),地域分析 |
発行年月日 | 1975/11/25 |
閲覧先 | 八戸学院学術情報リポジトリ |
閲覧先での公開範囲 | 非公開 |