ハチノヘハンセイウンエイノジッタイ(イチ) ―ハチノヘハンシハイキコウヲメグッテ―
八戸藩政運営の実態(一) ―八戸藩支配機構をめぐって―
著者:工藤 祐董
寛文四年(一六六四) 徳川幕府は盛岡藩を分割し、八戸藩の創設を決定した。 八戸藩政が実質的に開始されたのは翌寛文五年である。幕藩体制の枠組がほぼ整備された寛文期に成立した八戸藩は藩支配機構の急速な整備に取組まなければならなかったが、寛文八年初代藩主南部直房の急死により、二代藩主直政が八才で襲封、成人後五代将軍綱吉の側用人等として将軍側近に仕え、江戸居住が多かった事等も加わり、三代藩主通信の代に藩法制は漸く整備されるに至った。 藩政は藩主を頂点とし、家老・幹部役人を中心とする藩支配機構によって運営された事は周知の如くであるが、藩支配機構の上層部を形成した家老・幹部役人の意思決定過程、意思決定にあたり準拠した基準等を検討し、藩支配機構による藩政運営の実態を解明したい。
掲載元情報 | 光星学院八戸短期大学研究紀要第12巻(1989)pp.一-十四 |
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カテゴリー | 歴史(近世以前) |
発行年月日 | 1989/12/20 |
閲覧先 | 八戸学院学術情報リポジトリ |
閲覧先での公開範囲 | 非公開 |