文化財詳細

#絵画・書#指定・登録なし#明治時代#明治前期#八戸クリニック街かどミュージアム
五個俳優対達引

五個俳優対達引

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治5(1872)年、豊原国周)

東京築地ホテル館表掛之図

東京築地ホテル館表掛之図

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治3(1870)年、歌川芳虎)

東京駿河町三ツ井正写之図

東京駿河町三ツ井正写之図

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治7(1874)年、歌川芳虎)

東京名勝浅草橋従両国之景

東京名勝浅草橋従両国之景

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治7(1874)年、三代歌川広重)

鎧橋真景 亀戸天満宮真景 皇城二重橋真景 新吉原夜景

鎧橋真景 亀戸天満宮真景 皇城二重橋真景 新吉原夜景

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治22(1889)年、尾関トヨ)

五個俳優対達引
東京築地ホテル館表掛之図
東京駿河町三ツ井正写之図
東京名勝浅草橋従両国之景
鎧橋真景 亀戸天満宮真景 皇城二重橋真景 新吉原夜景

文明開化絵(国会・明治天皇・洋装など)

文化財区分絵画・書
時代区分明治時代,明治前期
指定区分指定・登録なし
収蔵場所八戸クリニック街かどミュージアム

明治5(1872)年、横浜〔現桜木町〕-新橋〔現汐留〕間に日本初の鉄道が正式開業すると、文明開化の象徴として多くの浮世絵が作られた。鉄道を大きく描いたものが多い中、「五個俳優対達引」は、明治役者絵の第一人者であり後世「明治の写楽」と称された豊原国周(とよはらくにちか)(1835‐1900)が、当時歌舞伎界を背負う若手役者5人と鉄道を組み合わせた作品。

政府の欧化主義を背景に、西洋化されていく日本を肯定的に描いた「文明開化絵」は、変わりゆく横浜の姿をいち早く描き幕末から流行した「横浜絵」に続くように、明治5年頃から明治20年代まで流行した。

「東京築地ホテル館表掛之図」の高さ18mの巨大な和洋折衷建築〈築地ホテル館〉は、日本初の外国人専用ホテルとして明治元年に竣工すると、100点超の文明開化絵が作られた。一方、「東京駿河町三ツ井正写之図」には、江戸の象徴日本橋の越後屋〔現日本橋三越本店〕と新たな顔の為替バンク三井組〔現三井本館〕が並ぶ日本橋の新景観を富士山をバックに描いている。因みに、築地ホテル館と為替バンク三井組は共に、清水建設二代目清水喜助の代表的建築物である。

また、「水の都」を象徴するように石造りの橋〔浅草橋など〕や鉄製トラス橋〔鎧橋など〕もよく描かれた。

解説執筆者八戸クリニック街かどミュージアム 小倉 学
推薦文献

歴史文化マップ(出土・発見・ゆかりの場所)

Loading...

文化財マップ(展示・所蔵場所)

Loading...