文化財詳細
#工芸品#国宝#南北朝時代#櫛引八幡宮 国宝館
国宝「白糸威棲取鎧 兜、大袖付 附唐櫃」
文化財区分 | 工芸品 |
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時代区分 | 南北朝時代 |
指定区分 | 国宝 |
収蔵場所 | 櫛引八幡宮 国宝館 |
妻取威(つまどりおどし)は、鎧の袖や草摺(くさずり)の一部を別の色糸で三角形に威したもので、鎌倉時代の後期から室町時代の前期に流行した様式である。重ね着をした装束の裾先(=妻の部分)が翻った際の美しさをイメージさせる名称となっている。
威は、地を白糸とし、袖は前方を裾すぼみに、胴の前と左の草摺は向かって左側を、後ろと右の草摺は向かって右側を裾広がりに色糸を用いた「白糸妻取威」である。
兜のしころの後中央だけは二等辺三角形に色糸を配した沢瀉威(おもだかおどし)としている。袖や前後の草摺の妻取は、紅、萌黄(もえぎ)、黄、薄紫、紫の5色である。
兜の鉢は、38枚張り、表面を32間(けん)とした星鉢(ほしばち)である。鉢の金物や銅の胸板などの覆輪は鍍銀(とぎん)、兜の眉庇(まびさし)をはじめとした桐文の金物は鍍金(ときん)である。
この鎧は、正平22年(1367)4月に後村上天皇より南部信光(のぶみつ)が拝領し、信光の跡を継いだ光経(みつつね)が応永18年(1411)に櫛引八幡宮に奉納した甲冑に該当すると考えられており(『八戸家伝記(はちのへかでんき)』)、現存する妻取威の鎧の中で胴・兜・袖が完存する唯一の作品である。
解説執筆者 | 八戸市社会教育課 柏井 容子 |
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推薦文献 | ①『南部一之宮 櫛引八幡宮』 ②青森県 2010『青森県史 文化財編 美術工芸』 ③ 八戸市 2012『新編八戸市史 地誌編』 |
歴史文化マップ
(出土・発見・ゆかりの場所)
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(展示・所蔵場所)
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