文化財詳細

#その他#指定・登録なし#大正時代#その他
羽仁もと子

羽仁もと子

(指定・登録なし、羽仁もと子記念館)

第1回友の会(東京・日本青年会館)

第1回友の会(東京・日本青年会館)

(指定・登録なし、羽仁もと子記念館、昭和5年)

羽仁もと子記念館_外観

羽仁もと子記念館_外観

(指定・登録なし、羽仁もと子記念館)

羽仁もと子
第1回友の会(東京・日本青年会館)
羽仁もと子記念館_外観

羽仁もと子-日本の女性ジャーナリストの草分け-

文化財区分その他
時代区分大正時代
指定区分指定・登録なし
収蔵場所その他

女性の解放、自由教育の推進を掲げた羽仁(はに)もと子は、明治6年(1873)に八戸・長横町の八戸藩士・松岡家の長女として生まれた。妹に千葉学園高等学校創設者の千葉クラ、弟にジャーナリストの松岡正男、八郎がいる。

八戸小学校では成績優秀で文部省から表彰され、女子で唯一高等科へ進学。明治22年(1889)に上京して東京府立第一高等女学校に入学し、在学中にキリスト教の洗礼を受けている。

明治30年(1897)に報知新聞社に入社し、やがて日本初の女性新聞記者として活躍。岡山孤児院や共立育児会のルポ、同郷の高僧西有穆山(にしありぼくざん)会見記などは多くの支持を得、当時の貴族院議員近衛篤麿(このえあつまろ)公から褒められ、励ましの言葉をいただいている。

明治34年(1901)、もと子は同じ職場の羽仁吉一(よしかず)と結婚し、退職。二人は、理想的な家庭像を求めて、明治36年(1903)に「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊し、家庭環境改善に大きな役割を果たした。

大正10年(1921)には「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」の理念のもと、生徒の自労自治を基礎とする「自由学園」を創設し、今日まで多くの著名人を輩出している。

昭和5年(1930)には「婦人之友」愛読者により「友の会」が結成され、もと子の思想を全国各地で具現化する活動を行っている。著作も数多く、「羽仁もと子著作集」として全21巻にまとめられている。

解説執筆者八戸市社会教育課 畠山 貴憲
推薦文献①婦人之友社『羽仁もと子著作集全21巻』 ②八戸近代史研究会『きたおうう人物伝近代化への足跡』 デーリー東北 ③島守光雄『八戸の女性史』

歴史文化マップ(出土・発見・ゆかりの場所)

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文化財マップ(展示・所蔵場所)

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