HACHINOHE HISTORIA

文化財詳細

#工芸品 #県指定(県重宝) #市指定 #江戸時代 #八戸市博物館
刀銘「奥観寿藤原吉廣/天保五年八月日」
刀銘「奥観寿藤原吉廣/天保五年八月日」
(県指定(県重宝)、八戸市博物館、江戸時代後期(天保5年)、長さ 70.3㎝(2尺3寸2分))
刀銘「精壮斎宗有/慶應二年二月日」
刀銘「精壮斎宗有/慶應二年二月日」
(市指定、八戸市博物館、江戸時代末期(慶応2年)、長さ 80.45㎝(2尺6寸5分5厘))

郷土刀工「奥観寿吉廣」と「精壮斎宗有」

江戸時代、八戸の城下町や近隣の村々には、農具や工具、刀剣を作る鍛冶職人たちがおり、野鍛冶として在地で製作する者もあれば、藩から扶持を与えられる者もいた。八戸藩の刀鍛冶としては、小笠原氏・鈴木氏・佐々木氏などが確認されており、中でも小笠原氏の系譜は、藩から「鍛冶棟梁(鍛冶頭)」を仰せ付かっていた御抱え刀工で、打った刀を藩に献上することもあった。

小笠原氏の中でも特に優れた技量と評され、「キララ肌」と呼ばれる独特の地肌を鍛えた「奥観寿吉廣(おくかんじゅよしひろ)」は、刃文から帽子、茎、銘の切り方に至るまで、几帳面で丁寧な仕上がりとして評価が高い。文政13年(天保元年/1830)に修行のため江戸へ上り、いずれの門下となったかは不明だが、その作風から水心子正秀(すいしんしまさひで)の門人であったとも考えられている。

江戸で固山宗次(こやまむねつぐ)の門人となり、生涯を江戸青山で過ごしたとされる「精壮斎宗有(せいそうさいむねあり)」は、藩士の中でも人気が高く、長大で豪壮な姿の切れ味に重きを置いた造り込みが多くある。宗有が独自に編み出したとされる「桜丁子」と呼ばれる刃文は、今なお郷土の愛刀家たちに愛されている。

解説執筆者 : 八戸市博物館 山野 友海
推薦文献 : ①八戸市博物館 1988『八戸藩刀工の系譜 郷土刀剣展 展示目録』 ②冨岡昭 1999「八戸藩刀鍛冶・精壮斎宗有‐作刀と系譜‐」『刀剣美術 第505号 二月号』財団法人日本美術刀剣保存協会 ③冨岡昭 2005「八戸藩小笠原刀鍛冶・奥観寿藤原吉廣‐作刀と系譜‐」『刀剣美術 第576号 新年号』財団法人日本美術刀剣保存協会

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