文化財詳細
#絵画・書#指定・登録なし#明治時代#明治前期#八戸クリニック街かどミュージアム
明治歌舞伎
文化財区分 | 絵画・書 |
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時代区分 | 明治時代,明治前期 |
指定区分 | 指定・登録なし |
収蔵場所 | 八戸クリニック街かどミュージアム |
明治を迎えた歌舞伎界は、8代目市川団十郎(1854没)、5代目市川海老蔵(7代目団十郎、1859没)、市川小団次(1866没)など、大物役者たちを既に失っており、未だ人気は衰えなかったものの、若手から中堅が新たな時代の歌舞伎界を牽引こととなった。9代目市川団十郎や狂言作者の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)らは、これまでの荒唐無稽な筋立てや演出を改め、内容・演出・扮装に史実を重視した「活歴物(かつれきもの)」を生み出し、5代目尾上菊五郎は、散切り頭や洋服・汽車など洋風風俗を取り入れた「散切物(ざんぎりもの)」を演じるなど、近代化への試行錯誤が行われた。
さらに、歌舞伎を西洋の演劇に匹敵する舞台芸術として外国の要人を招く日本の国劇の地位に引き上げようと、政財界・文化人・演劇関係者らによる演劇改良運動が行われた。そして、明治20(1887)年井上肇邸で明治天皇による天覧歌舞伎が実現し、2年後には歌舞伎座が開場すると、近代歌舞伎は9代目市川団十郎、5代目尾上菊五郎、初代市川左団次の「団菊左(だんきくさ)」時代と呼ばれる隆盛期を迎えたのだった。
作品は、月岡芳年(つきおかよしとし)「雪月花」の団・菊・左。天覧歌舞伎直後に出された「歌舞伎十八番勧進帳」。通称〈重盛諫言〉と呼ばれる活歴物「歌舞伎座新狂言 富貴草平家物語」。
解説執筆者 | 八戸クリニック街かどミュージアム 小倉 学 |
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