文化財詳細
#歴史資料#県指定(県重宝)#江戸時代#江戸後期#個人
『天保三辰ヨリ七ヶ年凶作日記(内題「市川日記」)』
文化財区分 | 歴史資料 |
---|---|
時代区分 | 江戸時代,江戸後期 |
指定区分 | 県指定(県重宝) |
収蔵場所 | 個人 |
天保3年(1832年)から9年(1838年)にかけての7年間、東北地方をはじめ全国的に凶作続きとなり、八戸南部領内も飢饉に苦しめられた。「天保の七年ケカジ(飢饉)」ともいわれ、天候不順に加えて領内では水害や疫病も発生し、作物の損耗率は、天保7年(1836年)には全体の9割近くにまで達した。
『天保三辰ヨリ七ヶ年凶作日記』は、盛岡南部領であった五戸通市川村〔現八戸市市川〕における飢饉の惨状を記録した、1冊の古文書である。内題は「市川日記」という。作者は、その地に在住していた佐々木太郎左衛門であり、天保11年(1840年)に、飢饉に備える心得として子孫に書き残したものである。天保10年(1839年)までの毎年の気象や作柄、作物の相場をはじめ、各年の凶作と飢饉の状況等を記録するとともに、飢饉への対応や飢えを凌ぐ救荒作物の紹介と、栽培、調理方法などを記載している。そのなかでも注目されているのは、「五升芋」または「赤芋」と書かれたジャガイモについての記述で、作者自身が入手して栽培に成功したことや、栽培、貯蔵、利用方法まで詳しく述べ、さらには村人にも説明して栽培させたことなどが記されている。
解説執筆者 | 八戸市博物館 下村 恒彦 |
---|---|
推薦文献 | 向谷地又三郎 1985 『市川日記・天保三辰ヨリ七ヶ年凶作日記』 |
歴史文化マップ
(出土・発見・ゆかりの場所)
Loading...
文化財マップ
(展示・所蔵場所)
Loading...