文化財詳細
#無形民俗文化財#重要無形民俗文化財#江戸時代#明治時代#大正時代#昭和時代
八戸のえんぶり
文化財区分 | 無形民俗文化財 |
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時代区分 | 江戸時代,明治時代,大正時代,昭和時代 |
指定区分 | 重要無形民俗文化財 |
収蔵場所 |
えんぶりは、年の初めに豊作を祈願して、農事を模して演じる田植踊りである。えんぶりの語源は田植え前に地面を均す朳(えぶり)という農具が由来とされるほか諸説ある。記録上の初出は八戸藩『目付所日記』正徳5年(1715)正月15日である。江戸時代には小正月行事として、農村部の人々が八戸城や家臣の屋敷、城下町の大店等でえんぶりを行っていた。
明治9年に旧来の悪習として青森県から禁止されたが、元藩士の大澤多門らが尽力し、14年に新羅神社の行事として再開させた。現在は青森県南東部(八戸市、三戸郡及び上北郡)と岩手県北部(二戸市、九戸郡及び岩手郡)で約45組が活動しており、このうち青森県のえんぶり組は「八戸のえんぶり」として、昭和54年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
例年1月頃から各地区の集会所で練習が始まる。2月には恒例行事として、八戸市では「八戸えんぶり」(開催期日:2月17~20日)が、南部町では「南部地方えんぶり」(同:2月第2土・日曜日)等が開催され、各地から参集したえんぶり組が神社奉納や門付け、公演を行う。
芸態は、馬の頭をかたどったといわれる華やかな烏帽子を着けた太夫が、ナリゴやジャンギ等と呼ばれる棒状の道具を地面に突き立てたり摺るようにして踊る(太夫の踊りを“摺る”と呼ぶ)。摺りには動きがゆったりとした「ながえんぶり」とテンポの早い「どうさいえんぶり」がある。農事を旨とする歌に合わせて、摺り込み、摺り始め、中の摺り、摺り納め、畔どめ(くろどめ)を演じる。摺りの合間には恵比寿舞やエンコエンコ、苗取り、豊年すだれ等の祝福芸が演じられる。
解説執筆者 | 小林 力 |
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推薦文献 | ①八戸市教育委員会 1974『文化財シリーズ第15号 えんぶり』 ②小井川潤次郎 1977『小井川潤次郎著作集第1巻 おしらさま・えんぶり』伊吉書院 ③阿部達著 小井田幸哉・戸来力監修 1981『えんぶり』八戸市教育委員会 ④大久保源太郎 1987『糠塚のえんぶり』私家版 ⑤「大久保えんぶり」編集委員会 1998『八戸市立白銀南公民館開館記念事業誌「大久保えんぶり」』 八戸市立白銀南公民館協力会会 ⑥八戸地方えんぶり連合協議会 2001『八戸地方えんぶり連合協議会創立30周年記念誌「朳」』 ⑦戸来元 2022『えんぶり私考―文研研究と現地調査からー』私家版 |
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