文化財詳細

#書籍・典籍・古文書#絵画・書#指定・登録なし#明治時代#明治後期#八戸クリニック街かどミュージアム
景年花鳥画譜 春ノ部

景年花鳥画譜 春ノ部

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治25(1892)年、今尾景年)

景年花鳥画譜 春ノ部

景年花鳥画譜 春ノ部

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治25(1892)年、今尾景年)

八千草 巻拾壱

八千草 巻拾壱

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治35(1902)年、上野清江)

花のかげ 五

花のかげ 五

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治33(1900)年、上野清江)

都のひか梨 二

都のひか梨 二

(指定・登録なし、八戸クリニック街かどミュージアム、明治32(1899)年、上野清江)

景年花鳥画譜 春ノ部
景年花鳥画譜 春ノ部
八千草 巻拾壱
花のかげ 五
都のひか梨 二

着物図案

文化財区分書籍・典籍・古文書,絵画・書
時代区分明治時代,明治後期
指定区分指定・登録なし
収蔵場所八戸クリニック街かどミュージアム

幕末の動乱と東京遷都による沈滞ムードの払拭が緊急課題となっていた京都府は、明治4(1871)年西本願寺で日本最初の博覧会を行い、翌年から昭和3年までの間、ほぼ毎年京都博覧会を開催した。これは、京都が最も得意とする日本の伝統工芸に対する危機感を反映したもので、新技術に触れ知見を深めると同時に、新製品を宣伝・販売する場となった。

そんな中、禁裏御用の仕事や町衆の需要に応じてきた京都の画家たちは、博覧会への肉筆画出展の他、伝統工芸品の下絵や図案制作を行うようになり、竹内栖鳳(たけうちせいほう)・今尾景年(いまおけいねん)・幸野楳嶺(こうのばいれい)など錚々たる画家たちが参加した。伝統工芸品は、美術作品へと一層高められ国内外で高い評価を受ける一方、化学染料や機械化と融合し伝統産業へと発展していった。『景年花鳥画譜』は、京都画壇の中心画家の一人今尾景年の花鳥絵手本を、京友禅の老舗・千總(ちそう)が国内外へ刊行した版本。

また、絵師から図案家へ転身する者も現れ、明治中期には多くの新図案が生み出され画譜や図案集が隆盛、明治末期から大正期へと覚ましい進展を遂げた。『八千草』『花のかげ』『都のひか梨』は京加賀を確立した染匠で図案家としても活躍した上野清江(うえのせいこう)の図案集。

解説執筆者八戸クリニック街かどミュージアム 小倉 学
推薦文献樋田豊次郎 横溝 広子編 2004『明治・大正図案集の研究―近代にいかされた江戸のデザイン』国書刊行会

歴史文化マップ(出土・発見・ゆかりの場所)

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文化財マップ(展示・所蔵場所)

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