文化財詳細
#歴史資料#指定・登録なし#明治時代#明治前期#八戸市博物館
廃藩置県と維新期の八戸
文化財区分 | 歴史資料 |
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時代区分 | 明治時代,明治前期 |
指定区分 | 指定・登録なし |
収蔵場所 | 八戸市博物館 |
明治2年(1869)版籍奉還が行われ、全国の藩主は領地と領民を朝廷へ返還することになった。藩主は旧領地の藩知事〔知藩事とも〕に任命され、そのまま藩政に当たった。画像1は版籍奉還の聴許書(ちょうきょしょ)、画像2は知藩事任命の辞令で、どちらも9代藩主南部信順(なんぶのぶゆき)宛である。
明治4年(71)7月14日、廃藩置県により八戸藩は八戸県となった。元八戸藩士太田広城(おおたひろき)と元会津藩士広沢安任(ひろさわやすとう)の尽力により、9月4日に八戸県・斗南(となみ)県・七戸県・弘前県・黒石県が合併して弘前県となった。当初県庁は弘前にあったが、位置が偏り過ぎているという意見が出たため県庁を青森に移し、青森県と改称された。八戸藩を母体とした八戸県が存在したのは50日ほどだった。
廃藩置県で旧藩主は藩知事を罷免され、代わりに新政府から派遣された藩知事や県令が行政を司ることになった。藩知事を罷免された信順は病気のため隠居し、長男の栄信(ひでのぶ)が跡を継いで東京へ移住した。画像3は栄信の肖像写真である。その後、栄信は子がないまま若くして亡くなったため、妻の麻子が南部家を継ぎ、女当主となった。
解説執筆者 | 八戸市博物館 野沢 江梨華 |
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推薦文献 | 八戸市 2014『新編八戸市史 通史編Ⅲ近現代』 |
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