文化財詳細
#史跡(旧跡)#史跡#江戸時代#江戸中期#寺社仏閣
餓死萬霊等供養塔及び戒壇石
文化財区分 | 史跡(旧跡) |
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時代区分 | 江戸時代,江戸中期 |
指定区分 | 史跡 |
収蔵場所 | 寺社仏閣 |
対泉院山門前に、天明飢饉の惨状が記された餓死萬霊等供養塔と戒壇石が建立されている。
天明3年(1783)、春から秋までやませが吹き続いたうえに、浅間山噴火やアイスランドのラーキ火山噴火により日射が遮られ、異常低温となり大凶作となった。約30年前の宝暦5年の飢饉の経験を忘れて、備蓄食料を売り払っていたため八戸藩領は飢饉に陥った。さらに全国的にインフルエンザが流行し、八戸藩の疫病死と餓死者は計3万322人に上った。これは前年の藩人口6万3158人の約48%に当たる。
対泉院の餓死萬霊等供養塔は、餓死者と病死者を供養するため、新井田村の有志たちが願主となって建立したものである。碑の表面に「餓死萬霊等供養塔」「天明四年申辰 十二月十一日」が記載され、裏面には、飢饉の惨状や食料相場などが克明に記されている。
戒壇石(※)の裏面には、天明飢饉での対泉院領の惨状が記されている。対泉院領では308名のうち232名が餓死・病死した。両碑には、共通して、後世の人々に穀物を蓄えておくよう、教訓が記されている。
※戒壇石:僧に戒律を授けるために、禅宗などの寺院の前に立てた石柱。多くは、面に「不許(くんしゅ)葷酒(さんもんに)入山門(いるをゆるさず)」と刻まれている。
解説執筆者 | 八戸市教育委員会社会教育課 |
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推薦文献 | ①弘前大学人文学部文化財論ゼミナール 2005 弘前大学人文学部文化財論ゼミナール調査報告Ⅴ『下北・南部の飢饉供養塔-補遺 津軽の飢饉供養塔-』 ②八戸市 2013『新編八戸市史 通史編Ⅱ近世』 ③上田三蔵2018『寺誌 安心立命』貴福山対泉院 ④八戸市博物館 2020『飢饉の郷土史-八戸ケガジ録-』 |
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