文化財詳細
#書籍・典籍・古文書#指定・登録なし#市指定#江戸時代#江戸後期#八戸市立図書館#個人
八戸城跡
文化財区分 | 書籍・典籍・古文書 |
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時代区分 | 江戸時代,江戸後期 |
指定区分 | 指定・登録なし,市指定 |
収蔵場所 | 八戸市立図書館,個人 |
八戸は寛永4年(1627)に盛岡南部氏の直轄領地となり、この頃に盛岡藩の代官所が置かれたとされる。その後、寛文4年(1664)に盛岡藩から独立して八戸藩が誕生し、八戸城は南部家2万石の居城となった。
八戸城は天守がない陣屋形式であり、本丸・二の丸・外郭からなる(画像1)。本丸は城郭の北西隅に位置し、規模は東西約150m・南北約200m、四方に土塁と水堀を巡らせていた。南東に大手門、北東に裏門があり、門の内側には番所が設けられた。本丸跡は、現在の三八城神社・三八城公園・県道本八戸停車場線西側の住宅地に相当する。二の丸は本丸の東方から南方を囲むように位置し、城郭の大半を占める。規模は東西約200m・南北約300mの複雑な形をしている。北から南にかけての外周は幅約6mの堀が巡らされ、南は空堀であった。南西に城下への出入口の表門があり、南東の常海丁(じょうかいちょう)には東門、北西の屋敷下口には北門があった。文政10年(1827)、御殿の建替えが始まり、建替え前は古御殿、その後は新御殿といわれ、新御殿は明治4年(1871)の廃藩置県まで使用された。古御殿と新御殿の様子は「古御殿御絵図面(ふるごてんおんえずめん)」(画像2・3)と「新規御普請御殿御絵図面(しんきごふしんごてんおんえずめん)」(画像4・5)に残されている。
解説執筆者 | 八戸市社会教育課 横山 寛剛 |
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